曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)
たのしみ法話
たのしみ法話

心静かに []

愛知 大龍寺 野々村晴之 師 

時折 散策でお寺に立ち寄って下さる方がお見えになります。
本堂で静かに手を合わせ、仏さまに何かを告げる人。境内の大きな木に触れて、安らぎを得ている人。自らの心とお話しをされているようです。その姿は慎み深く、見ている私も清らかな気持ちを頂きます。
ある時、三十代と見える男性から「お寺は何をするところですか?」と、思いがけない質問に戸惑う事がありました。訊ねてみると、国内でも最南端の離島出身で、育ったところにはお寺が存在せず、お参りした経験が少ないとの事。風習が違うことから人付き合いの上で、戸惑いを感じ地域の習わしは少しでも学んでいきたいと話されました。
本堂に案内した時のことです。その男性曰く
「幼い頃、このような場所に親戚のお葬式で来た事があります。」「不思議にこの空間は、心が落ち着きますね。何かほっとする気持ちがします。」
ひと様々に感じ取ることは、違うかもしれません。しかし、文化や風習が異なるとしても、落ち着きと安心を感じる場所は、意外に皆が同じ処にあると思いました。
「お寺は何をするところ」と問われたとき、全般的には亡き人を送るお葬式を連想し、その繋がりが第一と思う傾向にないでしょうか。
私自身は実に頭をよぎったのです。
寺という文字を思い浮かべてみてください。上には土を書き、下に寸という文字で支えています。土は地面から草木が伸びる姿を表して、世の中の成長を示しています。下の文字の寸は、手首にある心臓の脈拍を見る処を表しているのです。お寺という処は、この世の中の健康状態を見るところなのです。それゆえ、住職である私はお参りの方が少しでも心臓の鼓動が静かになることに心がけます。
社会の情勢に落ち着きが見えない現在、一人一人が心静かに正しく今を見つめることが大切です。時にはお寺に立ち寄り、心静かなる時間を持っては如何でしょう。

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