曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

心がきれいになる行い []

岐阜 龍泰寺 宮本覚道 師 

心がきれいになる行いについてお話しするにあたり、「達磨廓然」という問答を紹介いたします。その昔、中国南北朝時代、梁という国の初代皇帝である武帝と、中国禅宗の開祖である達磨大師が初めて会った時の問答です。
まず武帝が質問します。「私は多くのお寺を建て、多くの僧侶に施し、多くの経典を学んできました。これにはどんな功徳がありますか?」
達磨様が答えます。「そんなことに功徳などありません。」
武帝が言います。「では、もっとも素晴らしい仏教の教えとは何でしょうか?」
達磨様が答えます。「仏の世界は広々として一点の曇りもなくカラリとしています。そこには素晴らしいとか素晴らしくないとか、そんな区別はありません。」
武帝が言います。「いやいや、あなたこそ素晴らしいお方ではないですか。」
達磨様が答えます。「そんなことは知りません。」
武帝は達磨様が最後まで何を言っているのか全く理解できませんでした。達磨様はそんな武帝に見切りをつけ、少林寺に行き、九年間坐禅修行を行った、というお話です。
このお話は、禅の修行について改めて考えさせられるお話です。
なぜ、武帝は達磨様に「功徳はない」と言われたのでしょうか。それは、武帝が初めから功徳が欲しいがために、仏教に尽くしていたからです。つまり、「見返りを求める心」があったからです。
挨拶をしたら、挨拶を返してほしい。人助けをしたら、お礼の一言くらいは言って欲しい。私たちは無意識に見返りを求めがちです。しかし、「見返りを求める心」があると、善い行いは一瞬にして色褪せてしまい、功徳ではなくなってしまうのです。
では、功徳がある行いとはどういった行いでしょうか。何か善いことをすると不思議と心が安らぐ時があります。ゴミを拾ったり、履物を揃えたり、誰にも褒められなくても、自分が良いことをしたと思え、心がスッと安らぐ瞬間を経験したことがあるかと思います。
では、なぜ、ただ善い行いをしただけで心が安らぐのでしょうか。それは、実はそれだけで十分に私たちの心は満たされているからなのです。そこに「見返りを求める心」があると、その想いに心が傾いてしまい、心が乱れてしまうというのです。
挨拶をしたことも、人助けをしたことも、見返りを求めずに、ただ善い行いとしたと自分で自分を讃える。そこで感じる安らぎをしっかりと味わう。それを積み重ねると、自ずと心は静かに安らぎで満たされ、いつの間にかきれいになっている。これが本来の功徳なのです。
 ただ善い行いすることを心掛け、毎日を丁寧に生きましょう。

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