「和尚さん、年回法要はいつまでやればいいんだい?」
私のお寺では、各年忌法要にあたる方々の名前を掲示しています。私は「どうかしたのですか?」と尋ねると、相手は「今度の法事は、自分が生まれる前に亡くなった方で、私が知らない親族なんです。」と言いました。
月日が流れ、供養する御施主様の世代も代わります。どの家庭にも、私達が生まれる前に亡くなった御先祖様がいます。供養とは、知っているか知らないかで行うべきなのでしょうか。古い言葉に「枝葉栄えんと欲せば、先ずその根を養うべし」とあります。木が自立するためには、根を養わなければなりません。根が枯れてしまうと、幹も太らず枝葉は茂らず花や果実を結ぶことはありません。ここでの根は先祖、幹は両親、枝葉は私達子孫です。
父母や先祖を敬い、供養を行うことは、実は自身を大切にすることなのです。私達はその形見である自分を大切にし、また先人のように敬われる存在になることを目指さなければなりません。そして、その努力はいつしか、他者に喜びをもたらす花や、自身の糧となり実を結ぶことになるのです。供養は単なる儀礼ではなく、私達の存在を深く見つめ、次の世代に何を手渡すかを考える行いです。たとえ御先祖様を直接知ってなくても、私達はその延長線上に確かに生きています。供養とは感謝を表す心の現れです。それが次の世代への道標となるのです。
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