曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

利行〜思いやりの心〜 []

愛知 永澤寺 岡島典文 師

ある日、中学一年の娘が部活に行こうとしていました。のんびりと準備をしている娘にやきもきした私は「一年生なのに早く行って準備しなくていいの?」と問いかけました。すると娘は「準備も片付けも全員でするから大丈夫だよ」と答えたのです。私はハッとしました。「一年生は準備・片付けなどの雑用をするもの」という考えが残っていたことに恥ずかしい思いがしたのです。

下級生は準備をして先輩を迎える、練習が終わった後は最後まで残り片付けをする。一昔前、私が学生の頃はそれが当たり前のことでした。そんな時代であっても、何も語らず、さりげなく準備や片付けを手伝ってくれる先輩がいました。一人の先輩の登場が、雑用ばかりさせられているという私の気持ちを救ってくれているような気がしました。おそらく他の同級生たちもそう思っていたのでしょう。私たちが上級生になったとき、誰かと申し合わせをするわけでもなく、自然と皆で片付けをするのが当たり前となっていきました。

思いやりの心を持って他者に寄り添う行いのことを、仏教では利益の「利」に「行う」と書いて「利行」といいます。私たちは人に何かをするとき、見返りを求めてしまいがちです。「やってあげたのに、何もしてくれない」という思いが芽生えると、そこに溝が生じてしまいます。それは利行とは呼べません。先輩の行いはどうでしょう。しなくてもいい雑用を一緒に後輩とする、先輩には何の見返りもありません。ただただ後輩を思っての行動であったと思います。その行動を受け取った私たちは、次の代には皆で自ずから片付けをするようになりました。他の人を思いやる「利行」は、受け取った人の心を動かし、次の「利行」を生んでいくのです。

娘との些細な会話から忘れかけていた記憶が蘇りました。皆を認め合い、助け合い、利行のあふれる世の中にしたいですね。

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