曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

私とお茶碗 []

静岡 松秀寺 住職 山中健志 老師

いつも食卓に在る御茶碗、ご飯がよそってある当たり前の姿。物心ついた時から自分専用であり成長とともに変わっていく姿。時には住み慣れた家を出る時に使い慣れた器を割る儀式
私達にとってお茶碗とは特別な器ではないでしょうか。
子供の頃、ご飯にお箸を立てて、「ご飯にお箸を刺しちゃ駄目」時には、私が山盛りに御飯をよそった時「子供がそんなよそい方したらいけない」と祖母に大きな声で怒られました。
その頃は、祖母に怒られる意味が分からず、ご飯に箸を刺したり毎回のように山盛りの御飯をよそい、そのたびに祖母に「あなたは、仏様と違うんだからと」と毎回同じ事を言われ続けました。
祖母のこの言葉の意味がはっきり理解できたのは私が親になった頃でした。
私達は実家に帰ったり親戚友人のお宅を訪問したら、挨拶して、お土産を手渡しします。
仏様も家族や知り合いのお宅に祀ってあったり、埋葬してある場所にお参りしに会いに行きます。
仏前に行けば、必ず手を合わせます。
生きてる人には「こんにちは」の言葉の挨拶、仏様は(合掌)が挨拶、
お土産も人に対してなら手渡し出来ますが、
仏壇やお墓に祀る仏様、ご先祖様は生きている私達の様に物に触れることが出来ません、
お土産が、供物として供えるのです
飲んで頂く水やお茶、召し上がるご飯をお腹一杯食べて貰う為お替りしなくても良い位山盛りにして私達が供え、お墓参りに行ったら掃除をしてお花や線香を手向けます。
祖母の怒った言葉には、私のしたことは仏様の霊供膳の作法。生きてる人のする事ではない
長生きしてほしい子供に思いやりの心から怒ったと思います。
お年寄りの話の中には、口伝として代々言い伝えている言葉や思いやりから伝えている言葉が、色々あるかと思います。ただ言葉だけ伝わり意味を伝えず残してしまってるのが現代です。土地の習慣、風習、縁起、正しく如何に現代に合わせ伝え残していくのが大人の私達の勤めで無いでしょうか。教えの本心を見つけてください
私の地域では最後、家を出る時、使い慣れたお茶碗を割るのが最後の使い方です。出棺する時割り、自分のお茶碗の役目は終わるのです。荼毘して帰って来る時は霊供膳になるからです。
 

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