曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

一杯のお粥の中に []

静岡 林叟院 副住職 鈴木俊呉 師 

皆さんはお粥を味わって食べたことがありますか?
子供の頃、病気をしたときお母さんが作ってくれた優しいお粥の味は、おそらく記憶に残っていることでしょう。

禅の修行道場では、昔から朝食はお粥と決められており、それには十種類の利益(りやく)があると言われてきました。例えば血色が良くなること、また便通が良くなることなどです。
しかし、お粥には体の調子を整える働き以外に、もっと大事な役目がありました。それは「限りのある食材を大切にし、分かち合う」という役目です。

昔、中国禅宗の芙蓉道楷(ふようどうかい)というお坊様は、「ご飯を炊くのにお米が足りなければ、お粥を作りなさい。それでも足りなければ米湯(べいとう)、つまり重湯(おもゆ)を作りなさい。」とお示し下さいました。それは食べ物が皆に等しく行き渡るようにとの、食事係の和尚様の心配りであり、また食材そのものを尊(とうと)ぶ教えでもありました。

貧しい時代の修行道場は、修行僧が多ければ多いほど、また蓄えのお米が少なければ少ないほど、お粥は薄く、その表面には天井が映るほどでした。それでも修行僧は黙々とそのお粥の味を噛みしめ感謝しながら頂いてきました。
たとえ貧しい時も、更には豊かな時であっても、様々な食物を等しく尊び、貪らずに分かち合うこと、その静かな心を、それぞれが一杯のお粥の中に学んで来たのです。

私も修行時代、皆で分け合い、静かに頂くお粥が、お米本来のもつ淡い香りと共に、体の隅々まで沁みわたるような、あの有難い感覚を今でも忘れません。一杯のお粥の中にある大切な教えを、飽食の時代を生きる今の私たちも、大事に噛みしめていきたいものです。

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