曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

反戦平和の思いを継ぐ []

愛知 龍源院 永富純一 師 

私事になりますが、昨年11月13日に父が他界しました。父は生前お寺の住職と学校の先生を兼務していました。
その父が、お説教の高座にあっても、授業の教壇にあっても、一貫して語り続けていた大切な主題があります。それは、反戦平和ということです。

父は、旧制中学時代、当時最年少で海軍に志願入隊し、茨城県の谷田部海軍航空隊に配属されました。
当時谷田部航空隊は、沖縄方面の特攻作戦に従事しており、何人もの戦友が特攻隊員として南の空へ出撃していくのを見送ったと言います。

特攻隊員が、いよいよ明日出撃するという前夜は、部隊全員でどんちゃん騒ぎをするのだそうです。
ひとしきり、大騒ぎをした後は、うそのようにひっそりとする。出撃を前にして、じっと独り物思いに耽る戦友の姿を父は何度か目撃したと話していました。

いよいよ出撃の時、最後に間近で戦友を見送るのは、整備兵であった父の役割でした。

操縦士の「チョークはずせ。」の合図を見て、チョークと呼ばれる車輪止めを外すと戦闘機はそのまま飛び立って、特攻隊員であるこの友と生きて再び会えることはない。
そう思って操縦席を仰ぎ見ると友はにっこりと笑っていた。昨夜あんなに深刻な様子で物思いに耽っていた戦友が、最後はにっこりと微笑んでいた。
「チョークはずせ。」の合図とともににっこり微笑んで往った戦友の最後の笑顔を自分は忘れることが出来ない。

父は、92歳で亡くなるまで繰り返し、そう述懐していました。父は、終生僧侶として、また教師として、自らの戦争体験に基づいて切実に反戦と平和を訴えつづけました。

父が昨年11月に他界して、わずか3か月後、令和4年2月24日ウクライナ侵攻が始まりました。
識者の中には、これを第3次世界大戦の始まりと位置付けるひともいます。私の父は、第2次世界大戦を体験した最後の生残りの世代に属しています。
悲惨な戦争の体験者が居なくなった頃に、またぞろ人類は最悪の愚行を繰り返しつつあるということなのでしょうか。決してそうであっては、ならないと思います。

生前父がそうであったように、私もまた、一僧侶として、仏の心を伝え、反戦を語り、平和を訴え続けたいと思っています。

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