曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

飽食の時代 []

三重 宝積寺 宮本進志 師 

 日本は現在「飽食の時代」とされております。飽食とは食べ獲物に不足がないこと、又、飽きられるほどにたくさん食べられることを指します。外国からは大量の食べ物が日々輸入され、スーパーマーケット、コンビニエンスストアには大量の食材が並び、よほどのことない限り日々の食に困ることはない環境となっています。これは昔と比べられるととても幸せなことであると思います。ただ、その裏側では消費しきれない食材や、売れないもの、商品としての規格に合わないものは廃棄されてしまうのが現実です。私自身も学生時代コンビニエンスストアで仕事をしていた時代があり、消費期限が一分でも過ぎたもの、少しでも形が崩れて商品の規格として会わなくなったものは捨ててしまうという悲惨な現実を目の当たりにしてきました。その後学生を卒業し、大本山永平寺に安居させていただいたのですが、そこで大庫院と呼ばれる修行僧のご飯を作る部署に配属となり、衝撃を受けました。大庫院においては食材をとても大切に取り扱います。例えば、お米を炊いた釜についていたお米はひとつ残らず集め別の日の朝のお粥に、どうしても食べられない野菜の切れ端は集めてお味噌汁の出汁にしたりと、なるべく食材を余すことなく料理していました。これは曹洞宗を開かれた道元禅師の教えに従ったものです。禅師は「典座教訓」という書の中で「食材に対して敬意をもつ」ということを綴っており、食材に対して尊い命であるという自覚を持ち、又、その食材を丁寧に「頂く」ことが大切であると述べられています。話を少し戻しますが、現代日本においてこの考え方は希薄になりつつあります。子供のころお父さん、お母さんにご飯を残さずたべなさい。又、しっかり、いただきます。ごちそうさまでした。と言いなさいと言われた方も多いと思います。その心を忘れずに日々の食事に感謝することをぜひ忘れずに過ごしていただけたら幸いです。

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