曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

茄子から今、つながる命  [1784 H26年10月13日〜10月19日]

岐阜県 智照院 住職 宮崎誠道 老師

昨年の春、ご詠歌のお仲間である佐藤さんが老衰のため静かに帰らぬ人となりました。葬儀もすんだ数日後、お寺のすぐ近くで佐藤さんが耕していた畑に、息子さんが慣れない様子で水をまいていました。「ご苦労さまです」遠くから声をかけると少し手を休めて話してくれました。「僕、正直言って母が畑耕すのあまり好きじゃなかったんです。あちこち痛いのこらえながら、あんなにたくさん野菜作らなくていいのに。ただ、そこまでして母が何をしたかったのか。分からないかもしれないけど畑やってみよって。」私は頷きながら言いました。「私も佐藤さんに教えてもらいました。この畑でとれるたくさんの野菜を私がお寺に持って行かなくちゃって。皆がこの畑で取れた野菜食べて喜んでくれるの嬉しいって」いつも話してくれました。
それから数ヶ月後、私はお盆の法要にお参りいただく皆さんに供養するナスの素揚げの、そのナスをどうするか悩んでいました。いつもだったら佐藤さんが立派なナスを持ってきてくれたからです。
その日の夕方、真っ黒によく焼けたあの佐藤さんの息子さんがお寺を訪ねてきてくれました。その両手にバケツいっぱいのナスを持ってきてくれたのです。「和尚さん、見よう見まねで母がやっていたようにやってみたけど。あまり形よくはできなかったけど、どうぞお参りの皆さんで食べてください。」確かにちょっと大きすぎたり曲っていたりと不恰好なナスもありましたが、佐藤さんが苗を植え、息子さんがそれを引き継いで一生懸命お世話をした二人分の思いがこもった立派なナスでした。「来年からも母に負けないように、もっと形いいナス作ってきます。」思わず手を合わせたくなるような、そんな嬉しそうなお顔でした。                                                                                                                                                
 物でもその人自身の行いでも心でも、惜しみなく分かち合うことを布施と言います。佐藤さんの息子さんがしてくれた、ナスを供養するという布施は二人分の思いをのせ見返りをもとめることなく、惜しみなく私たちに与えられたのです。この布施は形を変えながら互いの心にめぐり合い、その人自身の生き方となり伝えられていくのです。

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