曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)
たのしみ法話
たのしみ法話

坐禅と安心 [1824 平成27年7月20日〜7月26日]

静岡県 宗福寺 住職 小林霊樹 老師

「いつでも本堂で坐禅できます。一緒に坐りましょう。」というつもりで『坐禅会』の看板を出しています。
 時折、新聞の人生相談の欄で、若い人が人生の意味に悩み死について不安を感じる旨を相談しています。その回答は、「少なくない人がこの事を感じ、そして、長年これの答えを求めつつ未だに得られていない。」と、あります。こんな記事を見る度に、仏教や坐禅は既に答えを示しているのになあ、と思うのです。
 お寺に坐禅に来てもいいですか、という人には、いつでもいいですよ、と答えるのですが、いらっしゃる方はなかなかありません。お寺に来て坐禅をするのに、何かハードルを感じるのかなあ、とも思います。もし、そのようなハードルを感じるのなら、尚のこと、坐禅に来てほしいです。
坐禅とは何なのか。坐禅とは、「自分」が無ければ無いほど楽ちん、という事を最も端的に示す姿です。しかも、物心ついて以来のこれまでの人生経験にはかつて無かった安楽です。
坐禅によって何か答を得る、のではなく、お寺に来て坐禅をする事がそのまま答であり得ます。世の中や身の回りの事、人生や自分自身、生とは何か死とは何か、一切についてを示してくれます。悩みや苦しみと思っていた事柄が全く問題ではなかったと示してくれます。何がそんなにこだわりであったのか、と霞が一瞬にして晴れるようです。そして、何の疑問もなく「自分がある」としている、この「自分」とは何なのかが明らかであると、木々が風に揺れる様子や雀の声だって、たった今こうしている生き甲斐です。世の中や身の回りの事、あちこちのすったもんだにも拘らず、たった今この瞬間が、この上無く清々としています。

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