毎年七月の半ば頃、永平寺の雲水は白山拝登という白山に登る機会があります。
曹洞宗の雲水が所持することが許される数少ない持ち物の中に「龍天軸」という掛け軸があり、その掛け軸は、それぞれの雲水が学んでいるお師匠さまか、それに相当する僧侶によって「白山妙理大権現」と書かれ、それぞれの寝起きするところに掛け軸を奉じて、毎朝礼拝をしています。「白山妙理大権現」といわれる神様は、富士山、立山と並んで日本三名山とされる石川県の白山に宿る神で、雲水の修行と無事を円成してくれる守護神でもあります。
白山は非常に険しい山で、富山県、石川県、福井県、岐阜県の四県にまたがり、標高二七〇二メートルの高い山であります。
百名ほどの雲水が、きれいに連なって、衣姿で山を登ってゆく。歩いているというよりは、駆け上がってゆく。集団で駆け上がってゆくというのは、登れないという者でさえも、登れる者の空気に包まれてしまい、気がつくといつも以上の力が発揮されてしまう。
日の出前の薄暗い中を黙々と登り、頂上に着くと私たちの前に、ゆっくりと日が昇りはじめ、辺り一面を照らし始める。いつも見ているお日様に知らないうちに手を合わせてしまう、私たち。平地で見る太陽、山頂で見る太陽はどちらも同じ太陽。いつもとちがう角度で見ると、全てのものが新鮮に見える。本当はそんなことではいけないのでしょうが・
曹洞宗を開かれました道元禅師様は、「世情にとらわれていない時には、目に入るもの、耳に開くもの、身体で感じられるすべてのものが驚くほどにみずみずしく受けとめることができる」と。そんな時には一本の草木、一匹の虫にも命を感じ、仏の声と仏の姿、ありのままを感じとることができるのでしょう。私たちの心が自分の思いこみにとらわれることなく、柔軟な、開かれた心にある時には、森羅万象ことごとく自然の語りかけを聞くことができるとおっしゃっています。
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