曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

安らぎは努力の中に [1850 平成28年1月25日〜1月31日]

三重 南泉寺 徒弟 山田智盡 師

永平寺を開かれた道元禅師さまは、
 「修行(しゅぎょう)の彼岸(ひがん)へ至(いた)るべしとおもふことなかれ。彼岸(ひがん)に修行(しゅぎょう)あるがゆえに、修行(しゅぎょう)すれば彼(ひ)
  岸(がん)到(とう)なり。」と説(と)いています。
 「『修行(しゅぎょう)』、即(すなわ)ち『努力(どりょく)』によって後(のち)『安(やす)らぎ』や『幸福(こうふく)』を得(え)るのでは無(な)い。人々(ひとびと)の幸福(こうふく)を願(ねが)い、理想(りそう)を掲(かか)げ目標(もくひょう)に向(むか)かって一生(いっしょう)懸命(けんめい)努力(どりょく)するその中(なか)に既(すで)に安らぎの世界(せかい)、幸福(こうふく)の世界が展開しているのであり、仏教ではその世界を『彼岸』と呼びます。
 「仏教の『修行』とは手段を意味するのではなく、すでに幸福(こうふく)の中(なか)で生(い)かされている自分(じぶん)の存在(そんざい)に目覚(めざ)め、感謝(かんしゃ)の心(こころ)を深(ふか)め、努力(どりょく)し続(つづ)けることである。」と示(しめ)して下(くだ)さっています。
 西遊記のある場面に、
 如意(にょい)棒(ぼう)と金斗(きんとう)雲(うん)を手に入れ有頂天(うちょうてん)になった孫(そん)悟(ご)空(くう)がお釈迦(しゃか)さまの掌(てのひら)の上で、「この世(よ)の中に、俺(おれ)さまに出来(でき)ないものは何(なに)もない。此処(ここ)を飛び立って地の果てまで行って戻って来てやる」と豪語(ごうご)します。金斗(きんとう)雲(うん)に乗(の)った悟(ご)空(くう)は何日も何日も空を飛び、ここら辺(へん)が地の果てかと、そこにそびえ立(た)つ石柱(せきちゅう)と思(おぼ)しきものに悪戯(いたずら)書(が)きをして、再び何日もかけてお釈迦(しゃか)さまの掌(てのひら)へと帰ってきます。
 悟(ご)空(くう)は得意(とくい)げに、「俺(おれ)さまは、約束(やくそく)通(とお)り地(ち)の果(は)てまで行(い)って、証拠(しょうこ)を残(のこ)して帰(かえ)ってきた。」と、伝えます。 
 すると、お釈迦(しゃか)さまは微笑(ほほえ)みながら答えます。
 「悟(ご)空(くう)よ。よく、目を見開(みひら)いてご覧(らん)なさい。あなたは私の掌(てのひら)から一歩も外に出ては
  いませんよ。」
 地の果てで悪戯(いたずら)書(が)をした石柱(せきちゅう)も、実(じつ)は、お釈迦(しゃか)さまの手(て)ノ指先(ゆびさき)。さすがの暴れん坊の悟空も、お釈迦さまの慈悲(じひ)の手(て)の上でたわむれ遊(あそ)ぶ、言(い)い換(か)えれば、幸福(こうふく)の中で生かされている私(わたし)たちと同(おな)じ存在(そんざい)そのものだったのです。後(のち)に悟(ご)空(くう)は仏(ほとけ)の慈悲(じひ)に目覚(めざ)め、安らぎを得ます。
 私(わたし)たちも、『安らぎ』を願い努力すると共に、み仏(ほとけ)さまやご先祖(せんぞ)さまの掌(てのひら)の上(うえ)に在(あ)り、常(つね)に見守(みまも)られているということに気(き)づき、感謝(かんしゃ)の心(こころ)を深(ふか)めて行(い)きたいものです。

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