曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

暮らしと安楽 []

静岡 宗福寺 住職 小林霊樹 老師

ご法事でいつも、お釈迦様の教えについて少し話をしています。
「お釈迦様の教えや、また、成仏や極楽浄土の様子など、信じるだけではもったいないです。ご自身の体と心でもって、確かめてみて下さい。」と、言っています。

リンゴの味を信じている、と言う人はいないでしょう。リンゴの味は食べればわかります。食べたから知っているのです。雪の白さや冷たさを信じている人もいないです。見て触ってみればわかります。見て触ったことがあるから知っているのです。
成仏や極楽浄土やお釈迦様の教えは、リンゴや雪と同じです。理屈でわかった気になっても、本当に確かめてみなければ、実際の様子を知ることは出来ません。実際に自分で確かめてみなければ、面白くないです。
本に書いてあるから、人に聞いたから、お坊さんが言っていたから、と言って済ましてしまっていては、生きて生活している生身の人間に、お釈迦様がせっかく説いてくださった甲斐が無いです。
生身の人間の苦しみを抜き去り、同時に、安楽を与えてくれる教えを、お釈迦様は示して下さったのです。

安楽という素晴らしい境地を得るのではないです。今の苦しみが無くなる、のとも違います。苦しむ自分が始めから無い、という生まれついての安楽です。自分の置かれた境遇に由らないのです。
亡くなった方は、自分という物を知らないです。死んでいる自分を知らないです。当たり前です。死んだら終わり、と言いますが、何が終わるのか。自分が終わるのです。その故に安楽です。
生まれてから物心付く位までの子どもは、生まれて来た自分、生きている自分という事を知らないです。
死んだ人も生まれて来た人も、どちらも、自分という物を知らないです。
今生きている私達は、お墓に入るにはまだ早いです。また、物心つく以前の子どものままではいられません。そうして、日々生きて行く中で、思うに任せないことに直面することから免れることは出来ません。このような私達には、お釈迦様の教えはどのように活かされるのか。
諸悪莫作(もろもろの悪をなすことなかれ)衆善奉行(もろもろの善を行い奉り)自浄其意(自らその心を浄くせよ)是諸仏教(これ諸仏の教えなり)
仏教の真意を問われてこのように答えた昔の中国のお坊さんが、三歳の子供には簡単なのに、八十歳の大人には難しいと、言っています。
三歳の子供にはどうして簡単なのか。単純だからです。大人にどうして簡単じゃないのか。何かと言い訳をして、いつも必ず良い事が出来るとは言えない。わかってはいるけれど…、と言いますが、三歳の子供には「わかってはいるけれど…。」という言い訳が無いです。言い訳をするという事を知らないです。言い訳が無い、言い訳をする自分が無いとは、それがそのまま、苦しむ自分が無い、という生まれついての安楽なのです。

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