曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

時 []

静岡 圓通寺 住職 関隆博 老師

 「松も時なり、竹も時なり」 道元禅師様のお言葉です。
『正法眼蔵』という本の〈有時〉という巻に出てきます。
道元禅師様が、時間と存在(いのち)との関係を説かれている巻です。
私たちは通常、一日は二十四時間一時間は六十分一分は六十秒と、それを「時」と考えて何も疑問を持ちません。しかし道元禅師様は、それは本当の時ではないと言っておられます。
 それはなぜか・・・?
「松も時なり、竹も時なり」という道元禅師様のお言葉の意味は、松の生きる時と竹の生きる時とでは、その中身が違うと言っておられます。つまりは人、一人一人一日の生き方の中身が全く違うということです。
『時』とは(いのち)そのものだと私は考えております。
『時』は自分の一生の中の一瞬であり(いのち)という『時』を一瞬一瞬重ねて、みなそれぞれの一生が出来上がっていくのだと思っております。限りある(いのち)の中の『時』をどう生きるか?は、人それぞれだと思っております。
例えば、愚痴や泣き言ばかり言っている人は、愚痴と泣き言の時間を重ねながら生きている人、明るく爽やかに充実している人は明るく爽やかで充実した時間を重ねながら生きているのです。
どちらも自分で時間を作りながら生きているのです。
そして、どういう時間を作りながら生きるか?は、自分次第なのです。
生きる(いのち)がそのまま時間、生きた時聞がそのまま(いのち)、自分の(いのち)と時間は、いつでも一つそれが道元禅師様の考え方だと思います。
今日も皆様の未来が明るく光り輝く為に、どうか一時(いっとき)、一時(いっとき)を大切に生きて下さい。

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