曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

薬師如来の功徳 []

静岡 秀道院 住職 都築義晃 老師

 お伺いしたいことがあります。薬師如来様のお名前を知っているよという方いらっしゃいますか?あまりおられないと思います。観音様やお地蔵様のような有名な仏さまに比べますとその名前はあまり知られていないようです。しかし、昔にさかのぼりますと、平安時代、日本で一番信仰されていた仏さまは観世音菩薩様です。その観音様に次いで2番目に多く信仰されていたのが薬師如来様でございます。当時病気になると皆、薬師如来様を訪れて手を合わせておりました。つまり、平安時代、薬師如来様は誰もが知る仏さまだったのです。
 さて、誰もが知る仏さまだった薬師如来様がなぜ今現在その名前を忘れ去られてしまったのでしょうか。その理由の一つに医学の発展があげられます。今現在医学は進歩いたしました。一昔前なら治らなかった病気も今では簡単に治ってしまいます。医学が進歩するにつれ、それに反比例するかのように薬師如来様の信仰が減っていきました。単刀直入に申しますとこういう事です。今現在、病気を治すことにおいては、薬師如来様より、人間のお医者様の方が信用が置けるという事です。
これは、私たち僧侶にとってみますと悲しいことです。しかし、仕方のない事と思えます。ただこのようなお話がございます。
ある薬師如来様を本尊とするお寺がありますそこには余命を告げられた癌患者の方々が多く訪れるという事です。人間はいつか死ぬと思っていても、普段はその事を忘れております。忘れているからこそ普段何気なく生活ができるのです。ところが余命を告げられた時、初めて死というものに向かい合います。そして、そのとき、恐れを知るのです。なかには自暴自棄に陥る方もいるでしょう。しかし、それは当然のことです。
ところが、そのお寺の薬師如来様を訪れる癌患者の方々は、余命を告げられたにもかかわらず、その表情には一切の恐れがないとの事です。皆様は、すがすがしいお顔をし、幸せそうに笑っているとのことでした。
 私は薬師如来様の功徳はここにあると思います。先人たちは病気になると、闘病生活とか病と闘うというような表現を使います。病と闘うと聞くと、病気を治す事と思われがちですが、実は違います。病と闘うという事は、病気を治すということではなく、病気を恐れ、逃げようとする自分自身の弱い心と闘うという意味です。人は病気になると、だるい、つらい、なんで自分がとマイナスに考えがちです。病気を治してやろうという強い気持ちはなかなかもてないものです。
 実は薬師如来様は、こういった病気の方の心を治して下さるのです。したがいまして、薬師如来様は、右手に施無畏の印を結んでおります。施無畏の印とは人間の心から恐れをとるという意味でございます。つまり、薬師如来様は右手に施無畏の印を結び大丈夫、癌と闘おうと私たちにやさしく語りかけているのです。そのお寺を訪れる癌患者の皆様は、天寿を全うしようとも、決して癌に負けてはいない、見事に癌に打ち勝った方々だと私は思います。

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