曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

お手洗いで自己を振り返る []

愛知 普蔵寺 川浦良允 師 

こんにちは。本日は「照顧脚下」についてお話ししたいと思います。
「照顧」とは顧みること、「脚下」とは足元を意味する言葉です。
「足元を確認して、自身をよく顧みなさい」という意味の禅語でございます。
お寺にお参りに行きますと、玄関やお手洗いでこの「照顧脚下」の文字を目にすることがあります。これは「足元を顧みて、履物をきちんと揃えましょう」という自己反省を促す意味が込められています。
次に使う人のために、自分の履物やお手洗いのスリッパをきちんと揃えておくこと。些細なことですが、これがマナーであり、人に対する思いやりなのです。
この言葉を見ると私自身ある出来事を思い出します。それは私が永平寺で修行生活をしていた時のこと、朝のお経が始まる前の時間の少ない中お手洗いへ入り、急いでいたこともあり、だだくさにスリッパを脱いでしまったことがございました。それを先輩の和尚さんに見つかり、こっぴどく叱られたという苦い思い出でございます。その時私は心の中で「スリッパを揃えることよりも、朝のお経に間に合うことの方が大切だ」と考えておりました。そんな私に対してその先輩和尚さんは「スリッパも揃えることが出来ない者は、朝のお経にも参加しなくてよろしい」と。こう仰ったのでございます。その日スリッパを揃えなかった私は、朝のお経すら読ませてもらえませんでした。
永平寺のお手洗いにも「照顧脚下」の文字が立てかけてあります。その意味を知ったときとても恥ずかしい気持ちになったのを今でも覚えています。あの時の先輩和尚さんの言葉は「人を思いやることのできない者に、お経を読む資格はない」という真意があったのではないかと、今では私の戒めとなっています。
何事もまずは自分の足元を見つめ、自分を知り、自己を反省することが大切だという教えです。
家に帰ったら、お手洗いを出たら、まずは「照顧脚下」、意識していきたいものです。

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