曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

ありがとうを考える []

愛知 長松院 住職 大村直希 老師

「ありがとう」日々生活の中で使い、耳にする言葉であると思います。この「ありがとう」の語源は、有ることが難しい、有難い、ありがとう、ということですが、「ありがとう」の反対語はなんでしょう?
それは「当たり前」、あって当然であるということですが、今私達が存在していることは当然のことでしょうか?
先日、我が家の食卓にて娘が食べ始める時にこう言いました。「お父さん、お母さん、いつもありがとう、おいしく頂きます」
きっと幼稚園でお昼ご飯を食べるときのお約束なのでしょう。そういってから食事をし始めました。まだ幼い子供ですからもしかしたら意味も解らずに教えられた通りに言っているだけかもしれません。
では私達大人はどうでしょう?親に感謝し、頂く食事に感謝をし、日々生活ができているでしょうか? 今私が生きているということは、親がいるからこそ自分がいる。もっと言えば多くの御先祖様がいたからこそ生きている。そして生きていく為には多くの命を食事として頂いているから生き続けています。沢山の命の繋がり、支えによって私は成り立っているのです。そう考えると今私が、私の家族が生きていることは当たり前ではなくありがたいことなのだなぁと私は娘の一言によって今一度思い起こすことができました。
皆様はいかがですか?親がいて当たり前、目の前に食事が並んでいるのも当たり前、そんな考えになってはいませんか?今一度ご自分の周りを見渡し、全てのことが当たり前ではなく、ありがたいことだと認識できる。そんな生き方を共に歩んでまいりましょう。

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