曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

しあわせ []

愛知 龍拈寺 竹村信也 師 

お寺では毎日、檀家の皆様のためのお経をあげますが、この中には皆様より先に亡くなったご先祖様のご供養のお経以外に、皆様が幸せに生きられますように、というお経もございます。
しかしこの幸せとは何でしょうか。
皆様はどんな時に幸せを感じますか。
「しあわせ」という言葉は自分の理想と目の前の現実がピッタリ合う、という言葉ですが、「幸福論」というような「幸せとは何か」「どうすれば幸せになれるのか」という哲学はどの国、どの時代でも様々な考察がされてきました。
例えば「幸せとは充足と上昇とでできている」というもの。
充足とは自分の願いが叶う、欲が満たされるということ。
上昇とは自分の持っている能力が向上する、できなかったことができるようになる、ということ。
確かにこの二つはそのとおりだなぁ、と感じるのですが、一方でこれはお釈迦様が二千五百年前に否定をしたことだなとも思うのです。
充足ということを言えば、お釈迦さまは、人間の欲望とは果てしのないもので、一つ満たしたと思えば、次にはもっと大きくなってしまうものだとおっしゃいました。
上昇ということについては、お坊さんの修行という字は業を修めると書くのではなく、行いを修めると書きます。未来だけではなく、生きている一瞬一瞬全てが大切なのです。人間は20代の頃に体や脳ミソの能力はピークを迎えますが、30代になって衰えが始まったら幸せになれない、なんてことはないですよね。
では仏教においては何が幸せなのかというと、それは「成仏」、仏様になる、ということだと思うのです。
仏様とは何か、という話をするとまた長くなってしまいますが、どうかお寺やご家庭の仏壇のご本尊様のお顔を見つめてみてください。そして手を合わせてみてください。仏様の像は目の前にあるのですが、きっと、手を合わせている自分の心も少し、仏様に近づいていると思いますよ。

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