曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

願いと祈りの違いについて []

愛知 千光寺 住職 鈴木隆三 老師

そろそろお正月も近くなってきましたが、来るべき新年には、きっと皆さん方も馴染みの神社仏閣に初詣に行かれることでしょう。
その時、皆さんは、神様や仏様にあることを「願い」ますか? それとも「祈り」ますか?
実は、「願い」と「祈り」とでは大きな違いがあるということに気づいてほしいのです。
つまり、神仏に「こうしてほしい」と「願った」場合、それがかなえてもらえれば「ありがたい」と思う代わりに、かなえてもらえなかった場合、「なんで願いが聞いてもらえなかったの?」という思いが沸き上がってくると思います。
一方、神仏にある事を「祈った」場合には、「それがかなうかどうかは、すべて神仏にお任せ」という状態になります。
つまり、「願う」という行為は、極端に言えば「お賽銭を投じて願い事をしたのだから、かなえてもらうのが当たり前、かなえてもらえない神様や仏様なんか信用できない」という言わばビジネスライクな打算的な心が働くのです。一方、「祈る」という行為からは「お任せしたのだから、どんな結果が出ようと受け入れよう」という姿勢が生まれます。つまり、結果は結果として冷静に受け入れられる。
例えば、大学受験や入社試験などで「合格すること」を「お願い」すれば、不合格であった場合「願いをかなえてくれなかった」と神仏を恨むことになり、「結果はお任せします」と「祈った」場合には、もしも期待していた結果が得られなくても、神仏を恨むのではなく、その結果から「自分が進むべき別の道があるのでは」と判断できるというところにつながっていくのだと思います。
それが、結果的に自分の人生を大きく左右し、「その時点で自分が選んだ道が必ずしもベストではなかった」と気づかされるときがいつか来るのではないのでしょうか。
これこそが信仰であり、「神様や仏様は絶えず自分を見守ってくださっていたのだ」とやがて確信することにつながるでしょう。
どうか、新しく迎える年の初詣、皆さん方には神仏に「願う」のではなく、ひたすら「祈り、お任せする」という気持ちで接していただきたい、と念じています。そうすれば、どんな結果が出るにせよ、それを受け入れられることができ、迷いのない平安な心で新しい年に臨むことができるのだと思います。

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