曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

小欲知足 []

静岡 普応寺 兼子大樹 師 

『猿を捕まえる方法』が出てきます。
猿を捕まえる人達は、まず、口の小さい壷を用意するそうです。その中に猿の好物を沢山入れておきます。食べ物を欲しがる猿は、壺の中に手を入れて、手のひらいっぱい食べ物をつかみ取ろうとします。ところが、手のひらいっぱいに食べ物をつかむと、手を抜くことが出来ません。握りしめた食べ物を放して、初めて手が壷から抜けるのです。
しかし、猿にはそれが解らないのです。つまり、手を抜けなくしているのは、猿の食べ物に対する欲望なのです。猿は自分の欲望を満たそうとして、僅か一握りの食べ物をつかんだために動けなくなり、捕まえられてしまうのです。

 この話、皆さんはどう思われますか?これは単なるたとえ話ではなく、私たち人間に当てはめて考えると、大事な教えのようなきがします。たとえば、壷をこの世の中とします。そこにはおいしい食べ物である欲望が渦巻いている。私達が壷の中に手を入れるのですが、私達は欲望を放棄すれば簡単に手を披くことが出来るのに、それがなかなか出来ず、あの猿と同じように自分自身で縛られてしまうのです。自由になるにはまず欲望を放棄することな
のです。
 私達の欲望には、限りないものがあります。つぎからつぎと『あれも欲しい、これも欲しい。あれも食べたい、これも食べたい』と。それはまるで喉が渇いた人が、海の水を飲んで、いっこうに渇きがおさまらないと同じようなものです。それはいつまでも満足することがなく、ますます渇き(欲望)は強くなるばかりです。しかし、この人間に欲望があったからこそ、人は、努力して社会を進歩させ、発展させて来たことも事実です。ですが、そこに何らかの歯止めがないと、人は欲望という煩悩の炎の中に迷い続けるだけになってしまう
のです。
 お釈迦様は、少欲知足の生き方を教えでいます。いかにして自分の欲望を少なくして行くか、今の自分が足りていることに早く気が付き、いかに満足して行くかが大切なのです。
 私達はこの世に、はだかで生まれ、はだかであの世と行くことを考えると、少欲知足(欲を少なくし、今に満足すること)の生き方が大事なのではないでしようか。皆さん勘違いしないで下さい。少欲知足とは、『何かを我慢することではないのです。分けあえば足りる』ということなのです。

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