曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

生を明らめ死を明らむる []

愛知 原中寺 住職 岡本正永 老師

「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」 これは曹洞宗の修証義というお経の冒頭の一節となりますが、諦めることが大切?と捉えがちですが、この場合のあきらめは、もうやめた、という諦めではなくて、明らかにするということを意味しております。 ですので、 “生きていくことと死というものの意味を明らかにするということは仏教徒である私たちの一番の課題である”、と説かれているのです。では生と死を明らかにするとはどの様なことなのでしょうか? ここで私のお寺のあるお檀家様のお話をさせて頂きます。
“おはようございます” 先日お墓参りにみえたその方はいつもと変わらず元気に笑顔で挨拶をしてくれました。実は奥様の四十九日の法事が済んだばかりでした。 法事の席で、ご子息様よりこんなお話をお伺いしました。母がいつだったか、自分で家事が出来なくなった時を案じて、元気なうちにと父親に熱心に料理を教えていたこと、そして、絶対に台所に立つような父親ではなかったのに、素直に料理を習い、今では自炊もしているということ、そしてまたご本人からも、奥様の体調がすぐれない時に、好物であったものを食べさせたいと思い誘ったところ、断られてしまい、妻の命もいよいよかと・・感じたことがあったことなど、お話してくれました。 
今思えば、お墓参りに来て私と会った時には、奥様の事で色々な出来事があったとは微塵も見せずに、いつも元気で明るく挨拶をしてくれていました。きっと、そのお檀家様のその姿というのは、最初に申し上げました、生きていくこと、死というものを明らかにしている、受け入れているということではないでしょうか。そして生と死を明らかにし受け入れていることにより、何も迷わずいつもどおりでいられたに違いありません。
まさに「生を明らめ死を明らむる」事が出来ていたのですね。

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