曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

自分の主人公となる []

愛知 宝泉院 村瀬慶信 師 

今、雨が降っています。今年は例年よりずいぶん早く梅雨入りしてしまい、つい梅の実を
採り損ねてしまいました。
 幼稚園をしている我が寺では3月・4月は年度末・年度初めで目の回るような忙しさです。
さらに今年はコロナウイルスの問題もあってもの事がスムーズに行きません。5月に入っ
ても毎日時間に追い立てられて気持ちは焦り、この仕事がうまくいかなかったらどうしよ
うなどといった不安に囚われていました。
 多くの方にとって梅雨の雨模様は決して気持ちの良いものではないでしょう。しかし私
はこの雨で仕事ができない中で、好きな本を手に取るうちに少し気分が変わりました。

 「趙州録」という本があります。唐の時代の趙州禅師の語録です。そこに、このようなや
り取りがあります。

問う、「十二時中、如何が心を用いん。」師云く、「祢は十二時に使わる、老僧は十二時を使
い得たり。祢那箇の時をか問う。」(筑摩書房 禅の語録11 趙州録 P。50)

一日中、心をどのように用いているかとの問いに、趙州禅師は「お前は時間に使われてい
るが、私は時間を使っている。お前の聞きたいのはどちらの時間のことか」と言われていま
す。
 最近の私は間違いなく時間に使われていました。いつも焦っていて、時間に隙間があれば
際限なく仕事を入れていました。朝昼の食事も食べない日が多く、夕方にはへとへとでした。
やることが無い時間でも、何か見落としが無いかと不安になって気分の切り替えもできず、
梅の実は取れないまま、お墓の草取りも充分に行えないまま、余分な考え事ばかりでまさに
時間に使われていたのです。
ダンマパダという古い経典があります。その中でお釈迦様はこのように仰っておられま
す。「自己こそ自分の主である。他人がどうして(自分の)主であろうか?自己をよく調えたならば、得難き主を得る」
 「先ず自分を正しくととのえ、次いで他人を教えよ。そうすれば賢明な人は、煩わされて
悩むことがないであろう。」(共に岩波文庫 「ブッダの真理のことば・感興のことば」 中
村元 訳 P.30)
 こちらをやるべき時にはこちらをやり、あちらをやるべき時にはあちらをやり、休む時に
はしっかり休み、自分を見失わないように管理し、自らをととのえていく。これは、ただた
だ日常生活の中での発想の転換だけの問題です。
 周りに何かをやらされていると考えているうちは何も変わりません。自分が自分の人生
の主となれるよう心がけていきたいものです。

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