私が現在のお寺の住職を勤めてから今年で21年目を迎えます。
大学生でありました私は先代住職の弟子としてのご縁を頂き、師匠は私が永平寺に修行へ上がる前の年に亡くなりました。
病院へ師匠のお見舞いに行くと、ベッドの上で手を合わせながら、「ありがとう、ありがとう」と声をかけてくださったのを昨日の事のように覚えています。
病院で療養しながらも自分が亡くなったあとのお寺の事、お檀家さまの事、さまざまな不安があったのかもしれません。
2年の修行を経て、右も左も分からないまま現在のお寺に入り、私は師匠の跡を継いで20代で住職をする事になりました。
法事や葬儀などの檀務にはじまり、お檀家さまのお顔やお名前、お寺の運営、在り方など本当に分からない事ばかりでした。
さまざまな失敗や困難に直面した時、師匠が生きていれば、叱ってもらったり、守ってもらったり、いろいろな事を教えてもらえたのでは、と思う事もありました。
ただ20年経った今、お檀家さまやご縁の和尚方、多くの方々の支えの陰には、師匠が長年お寺や人を大切にし、日々勤めてきた遺徳があったのだと感じます。
私の20年は師匠と共に歩んだ20年だったのかもしれません。
仏教には「回向」という言葉があります。「回」は、回ると書き、めぐらすことであり、「向」は、さし向けることで、「回向」とは、“自分が行った浄行、浄らかな行いや善行、善い行いをめぐらして、他の人々の為にさし向けること”という意味になります。
師匠やご先祖さま、お檀家さまや和尚様方、そして知り得ることのできない多くの「ご回向」の中で、“生かされているいのち”である事を自覚し、これからも一日一日勤めて参りたいと思います。
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