曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

新型コロナウイルスと仏教 []

岐阜 法喜寺 沖田泰裕 師 

 今年1月頃からの「新型コロナウイルス」の発生、4月頃の第1波、7〜8月以降の第2波の到来。市中感染が世界的に止まっていない現状、それに伴う健康面、経済面の先行不安が世の中の雰囲気として、非常にいやな感じとして漂っております。元の状況にもどるまでに3〜5年以上はかかると予想する専門家もいる中、「ウィズコロナ」コロナウイルスとの共存共生を考えざるおえない状況でございます。我々は、いったい何を「よるべ」としたら良いのでしょうか。
ひとつの方向性としては、「宗教」がありますが、私が関係しております「仏教」では、「コロナ禍」をどの様に考え、いかに対処していったら良いかという、仏教のものの見方を探ってみたいと思います。ウイルスの真の正体も分からず、薬、ワクチンもない以上「おもうがままにならない」状況にあり、我々の本能にひもづけられた煩悩という「求めすぎ」「怒り」「妄想」が出てきやすくなってきます。
特に妄想は、ある事、ない事をある様に自分で物語を作ってしまって、結果的に自分の心を苦しめる事になるのです。コロナ禍も先行きが非常に不透明で先行きの悪い展開を妄想しがちですが、ここは、「わからない事は、わからない」と腹をくくりながら、今できる事、具体的にはマスク装着、手洗い、うがい、不要不急なハイリスクな処への外出をさけ、今おこってる目の前のできごとを、あるがままに感情ではなく感覚としてとらえ、冷静な判断をして対処していくしかないと思います。「明けない夜はない」という名言がある様に、いつかこの「コロナ禍」も終わる時が来ます。こんな時期だからこそ、自分を見つめ直し、気づく良い機会にしたいものです。

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