今日、日常的に行われている作法の一つ「合掌」についてお話し致します。普段合掌する時と言いますと、例であげますと主に仏様を拝むこと、または食事前に合掌する事が多い事だと思います。仏様を礼拝する合掌に関しては、我が家のご先祖様や宗派の教義を尊ぶ等であることはご理解いただけると思いますが、食事の前になぜ手を合わせるのでしょうか。一般的な返答ならば、礼儀の一環で合掌した後で食事を頂戴することも間違いではありません。
私達はご先祖様より生を授かり生活しております。そして今日に至るまで間違いなく生活の糧として食事を経験されており、その中にはお米、パン、魚肉、牛肉等を召し上がられていることではありませんか。否定はできないと思います。お坊さんは妙な発言をされるなぁとお思いですが、実際のところ生存、成長する過程において食事は欠かせないものであるのです。食事するもの全てにいのちを頂戴して私たちは生かされている、有り難い、感謝、そして生き物全てに対する供養を込めた姿、すなわち合掌であるのです。残念ながら食卓に並ぶおかずの中には既に加工された肉、魚等は、少し前まで生存していた生き物であり、この尊い犠牲を供養する為に私たちは手を合わせる、感謝の為に合掌をする姿なのです。ただ無意味かつ食事をするからと、合掌しているわけではありません。
もしかしたら合掌せずに食事する方もいるかもしれません。しかしながらそれは尊い命を犠牲となった生き物に対して、あまりにも遺憾とも取れる行為ではないかと私はそのように捉えております。ましてや報道番組でよく「自分は一人で生活可能」などと耳にしますが、これは明らかに方向性を若干見誤っている行為であると私は思いますし、お考えを改めるべき余地をお薦め致します。
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