曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

この秋は雨か嵐か知らねども今日のつとめの田草取るなり []

愛知 泉龍院 加藤康由 師

「この秋は雨か嵐か知らねども、今日のつとめの田草取るなり」
二宮尊徳の言葉です
 尊徳は江戸時代、現在の小田原市に生まれました。通称二宮金次郎と呼ばれ、薪を背負いながら本を読んでいる銅像を見たことがある方もいると思います。尊徳の人生は大変苦労が多く、5歳の時暴風雨で家と田畑が流され、その後両親を亡くし親戚の家に引き取られ、そこでも水害にあいすべてを失いました。その後祖父の家で昼は農業に励み、
朝は早起きをし、薪を取り、夜は遅くまで草鞋を作り身を粉にして働き2人の弟を養いました。
尊徳は農業にいそしみ並々ならぬ努力によって、小田原藩から財政再建を頼まれ見事に成功させます。
大飢饉で農村が疲弊しきって餓死者が多く出ていた当時、北関東から東北にかける各藩の600以上の荒廃した村々を手がけ大きな成果をあげました。
 尊徳は私たちが生きていくための大切な教えを多く残しました。その一つに次の言葉があります。
「この秋は雨か嵐か知らねども、今日のつとめの田草取るなり」という言葉です。
この言葉には、今自分ができることを精一杯やる、後のことはすべて自然の力に任せるという意味合いがあります。現代風に訳すと(今、田の草を取っても秋になって嵐が来たら稲が収穫できないのではないか・・・。収穫できないかもしれないから何をやっても無駄になると考えるのではなく、結果はどうであれ今の自分にできる精一杯の努力をする)。
 私たちは普段生活していると様々な苦難に直面します、幸せよりも苦しみ、悲しみの方が多いかもしれません、しかし、過去のことをいつまでもくよくよ悔やんだり、未来のことを心配するのではなく、悩んでいる時間があるなら、今やるべきことをやる。
 人生の苦しみ、悲しみに引きづられ浮き沈みを繰り返すのではなく、どのような結果が訪れようと、今やるべきことを坦々と一生懸命続けていくことが何よりも大切なことではないでしょうか。

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