曹洞宗では梅花流詠讃歌がございます。
お盆の施食会や開山忌、お釈迦様のお生まれになった日をお祝いする花祭りなどお寺の行事、法要でお唱えされております。亡くなられた方の年忌法要等でお唱えされている。『追善供養御和讃』第1番をご紹介します。
玉とむすびて蓮葉に おきたる露の一雫
ながきは人の願いにて 短きものは命なり
歌詞の和訳は、玉のような朝露が蓮の葉の上に一しずく乗ってますが、朝風が葉を揺らせば、たちまちころがり落ちて消えてしまいます。この露のように人の生命ははかないものです。誰しもが願うのは長く生きることです。しかし、人の生命はたちまち過ぎ去ってしまうものなのです。
釈意は人の命のはかなさ、たよりなさを蓮の葉の上に乗った朝露にたとえる。いつまでも長く生きていたいと望むのは、生命あるものの願望といえるが、その願いはかなえられず、思い通りにはゆかない。そこに『苦』が生じるとお釈迦様は説かれました。存在の真実の姿をしれば、空しい願いを反省し、お釈迦様の教えこそが真実と理解することができます。しかし、かなえられない願いを追い求めれば、苦しみはより深くなります。葬儀や年忌法要の際には追善供養御和讃をお唱えし御霊が安らわんことを祈り残されたご家族様には大切な生命をより大事にし仏様が喜んでくれる生き方をする事がなによりの供養であるかと思います。
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