曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

御供養を考える []

静岡 正眼院 清泉雄太 師 

朝、今日も目覚ましのアラーム前に目が覚める。
部屋の天井を見ながら、ふと思い出す。
「ああ、ニコニコと急須を持つ手が震えながらお茶を出してくれた檀家さんのおばあちゃん、いつもお寺に野菜やすいかを持ってきてくれた総代のおじいちゃん、亡くなっちゃたんだよな」「もっとあの時話しておけばよかったな」「もうお経にいってもいなんだよな」
檀家さんが亡くなってから、しばらくは毎朝のように思い出してしまいます。

私たち僧侶とは言え、毎月会っていた檀家さんが急に亡くなるととてもつらいです。
辛すぎて人生を終わりにしてしまいたいと考えてしまうこともしばしばあります。

しかし、私が頑張らなければ、あのおばあちゃんとおじいちゃんに怒られてしまう。
私が御供養を怠けていたら、だれが亡くなった方たちにお経をあげるのだろう。
この思いが原動力となって、辛い気持ちから立ち直り、日々の檀務を頑張ることができています。

御供養が実は私たち残された人の精神衛生上にとても良いのではないかと考えています。
日頃から亡き人の御供養の習慣を身につけておくと、仏様のため、誰かのためを思って行動することができるようになります。仏様のため毎朝、花と水と香を頑張っておそなえをする。準備は大変ではありますが、不思議と亡き人の御供養が終わると心がスッキリいたします。自分も助けられている瞬間でもあります。


実際の人間関係や物事もそうでございます。
曹洞宗の教えで布施の心( 相手が喜ぶことをしましょう)ということがとても重要です。
自分本位で労力のベクトルが自分(内側)に向いているとき、大抵物事はうまく行きません。
そのベクトルを外側に向けて、仏様のため、周りの方のため、全体がうまくまわることを考えると回り回ってご縁と幸せが自分にやってくるのかなと思っております。

まだ半人前の僧侶でありますが、少し御供養を考えてみました。
ありがとうございました。

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