仏教の言葉に一水四見という言葉があります。
同じ水も見る者によってその見え方は変わることを示す言葉です。
人間には単なる水にしか見えなくても、魚の目には自らの住処に見えます。
また、汚れた液体と見る者もいれば、美しい水晶と見る者もいます。
この言葉が示すように、私たちの人生における様々な出来事も、立場や心のあり様によってその感じ方は異なってきます。
これは同時に、見方を変えることで不幸の種と思える出来事も善き種へと転じる事ができることを示しています。
檀信徒の橋本さんは仏教への信仰がとても篤い方です。
そんな橋本さんの生い立ちは少し複雑で、幼少期には母親が数か月間、何も言わずにいなくなってしまうことがあったそうです。当時の橋本さんの心は抱えきれないほどの寂しさと不安で一杯だったといいます。
そして、そんな寂しさと不安を抱きながら、「神様や仏様が本当にいたらいいな…」そう思ったそうです。その時の情景がはっきりと思い出せるほど印象深く記憶にあるとおっしゃっていました。
それ以来、だんだんと人間関係において苦手意識が芽生え不調和を起こすようになっていったそうです。
最愛の母が自分のもとからいなくなってしまったという心の傷が、他人を信じる事に二の足を踏ませていたのです。
橋本さんは長らく、不幸感覚が強く、その原因は幼少期の出来事にあると思い続けました。
しかし、そんな橋本さんに変化が訪れます。
親族のご法事で出会った道元禅師の教えに強く感銘を受けたのです。
この時、「仏さまは本当にいたんだ!」そう思ったそうです。
以来、日に日に信仰が深まるにつれ、人生観に変化が起こったといいます。
それまで不幸の種にしか見えなかった幼少期の記憶が、あの経験があったからこそ、道元禅師様の教えに感動することができた。仏教の信仰に出会うきっかけになっていたんだ。
現在ただいまに幸せの花を咲かせることで、いつしか不幸の種が、幸せの種に変わっていたのです。
お釈迦様は、この世は苦しみばかりである。そしてその原因は思い通りにいかないことに起因する。と示されました。
人生には失敗や辛く苦しい経験も多いかもしれません。しかし、努力して見方を変えれば、苦しみの経験を輝かすこともまた、できるのではないでしょうか。
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