私たち曹洞宗では坐禅を大切にしています。足を組んで背筋を伸ばし、鎌倉の大仏様のように坐る、あの坐禅です。モゾモゾ動いたり、ウトウト居眠りしたりしようものなら、後ろから木の棒で叩かれる、厳しい修行と思われる方もいらっしゃるでしょう。
では何のために坐禅をするのでしょうか。精神の鍛練でしょうか。「悟り」を得るためでしょうか。修行僧は何か特別な力を手に入れる為に坐禅をしているのでしょうか。
そもそも「悟り」とは何でしょうか。厳しい修行の末に何か特別な力を手に入れる事でしょうか。空を飛んだり、見えないものが見えるようになったり、まるで魔法使いの様な力を手に入れることでしょうか。
今からおよそ2500年前、お釈迦さまは菩提樹の木の下で8日間の坐禅の末に悟りをひらかれました。私たちが生きているこの世界をどのようにとらえるか、そしてどのように生きてゆけば良いのか、お釈迦さまはそれを会得されたのです。これがお釈迦さまの「悟り」です。「悟り」とは我々が迷わず、心穏やかに生きてゆく為の知恵のことです。
静かに足を組み、坐禅をしても、頭の中には色々な考えが浮かんでくるでしょう。お釈迦さまもはじめはそうでした。様々な誘惑や恐怖が心をみだしました。しかし、坐禅を続けるうちに迷いや悩みは消え、心がしだいに静かに整っていったのです。では、この心静かな状態を続けるにはどうしたら良いでしょうか。
道元禅師は坐禅をする時は何も考えずにただひたすら坐るように示されました。そして、坐禅の心を日々の生活に生かすように示されました。食事をする時、掃除をする時、顔を洗う時、日常生活の全てにおいて、坐禅と同じようにただひたすらに目の前の行いをつとめる。それが修行であり、悟りであると示されたのです。坐禅だけでなく、日常の行い全てが修行であり、修行そのものが悟りであると示されたのです。これを「修証不二」といいます。修行と悟りは別のものではなく、同じものであるという意味です。ただひたすらに目の前の行いをつとめる。これが悟りであり修行なのです。
皆様もどうぞこの教えを日常生活に生かしてください。食事をする時は食事に集中する、お茶を飲むときはお茶に集中する。正しい生活を続けてゆくことが悟りへの第一歩なのです。
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