曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

思いやりに肩書き無し []

岐阜 吉祥寺 志比道栄 師 

皆さんこんにちわ。皆さんは色々な営みをされていると思いますが、皆さんは会社や地域では、どの様な肩書きをお持ちでしょうか。
 会社の社長さん・先生・誰々のお母さん・お店のおじさんなど、さまざまな肩書きや呼び名が付いている事と思います。
 私は、お寺の代表役員と言う肩書きと、一時は地域の民生児童委員という役もありました。
 ある民生の例会での出来事。
普段から一生懸命に情熱をもって活動されている委員さんが、「中学校の卒業式で、我々民生児童委員の席次が下の方だ。我々は地域福祉を一生懸命やっているのだから、我々の活動をもっと認めて欲しい。」という内容の事を言われたのを耳にしました。
 この委員さんは本当に熱心な方で、色々な活動に率先して行動される方であります。普段の一生懸命さを、何かの形で認めてもらいたいという気持ちが出た言葉であったかもしれません。
 私たちはついつい役を頂くと、自分が特別な立場になった気持ち、ほかの人より偉いんだという考えを起こしがちではないでしょうか。特に福祉や奉仕という活動に携わると、助けてあげた。してあげる。無意識の内にも良い評価や見返りを求める気持ちが、生じているのではないでしょうか。
 お手伝いする時に、「私がしてあげた」でも、「私はさせてもらった」でも、行っている事は、端から見れば同じ行動であり、同じ結果かもしれません。しかし、明らかに違うのは行っている人の心の中で、その気持ちはまるっきり違うはずです。手助けのつもりが、単に自己満足で終わってしまったり、あわれみの気持ちでしているだけであったり、怒りながらしたことはないでしょうか。
 私たちがしなければならないこと、それは「思いやる心」を自分の中に持ち続けることです。自分がどの相手に対しても思いやる心を持ち、自分の体を使って行動する。それが「思いやりの行い」「まごころの行い」です。
「思いやりの心」から出た行いは、肩書きや役とは関係なく、本当の温かな行いや優しい言葉となり、年齢に関係なく、接する人の心に届き、笑顔となって結果が現れる。また引き継がれるものだと思います。
 私は子供に、「思いやりの心」を持った人になって欲しい。また私も常に「思いやり」のこもった行いがしたいと願っております。

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