曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

自分がどんな気持ちを持って他者の行いに触れていくのか []

愛知 慈恩寺 渡邊髀ヒ 師

6歳になる私の長男がおもちゃのブロックで作った車を、1歳半の次男が壊してしまいそうだったので、安全な所へ片付けておいた。片付けたことを長男に伝えると「なんで片付けたの!」と怒り出した。話を聞いてみると、後で遊ぶはずだったおもちゃを、親がいじわるで片付けてしまったと思い怒ったらしいのだ。
また別の日にはこんなこともあった。4歳の次女が間違い探しをしていると、6歳の長男が横からどんどん答えを見つけてしまい、次女が嫌がり出した。話を聞いてみると、長男は長男なりの優しさで答えを見つけてあげていたということだ。
この2つの出来事に対し、どちらの時も私はまず長男を叱ってしまった。後で長男の気持ちを知って、悪いと決めつけて叱ったことを謝った。
また長男にも、親がいじわるをしたと決めつけてしまったのは間違いではなかったかなと、問いかけた。

他の人から見ると嫌がらせをしている、悪いことをしていると見えても、心のうちには優しさや思いやりがあってしている行いもあるのだなと思います。その行いの表面だけ見て決めつけることは、間違いなのです。
そうしてみると、自分がどんな気持ちを持って他者の行いに触れていくのか、ということの大切さを痛感いたします。
相手を悪いと決めつけて責め苛むのであれば、そこには対立が生まれるでしょう。
相手と共に生きようとして互いの理解を深めていけば、そこに安心が生まれてくるのです。

相手に変化を求めるのではなく、心のあり様を変えるべきは自分自身。
思いやりの心を持って相手の行いに触れていくのも自分、互いの理解を深めていこうとつとめるのも自分。
他者と責め合い不安の中で生きるのか、他者と分かり合い安心の中で生きるのか、決めているのは自分自身の心のあり様であるのかな、と思います。

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