曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)
たのしみ法話
たのしみ法話

身も心も緩やかに []

静岡 保春寺 勝田岳芳 師 

私が大本山永平寺別院長谷寺で修行僧の指導役である役寮を務めていたときのことです。
受付の責任者だった私は、いつも夜の坐禅が始まるギリギリまで仕事をしていました。その日も慌てて着替え袈裟を掛け急ぎ足で坐禅堂に向かうと、丁度、坐禅の始まりを告げる鐘、「静けさを止める」と書く止静を、係の修行僧が叩こうと撞木を構えているところでした。
 「なんとか間に合った」と胸をなで下ろしながら坐に着くと、すぐに止静が三声打ち鳴らされました。しかし、静けさもつかの間、バタバタと足音を立てて静寂を切り裂くように四、五人の修行僧が入ってきました。
 彼らが坐に着くも、どことなく坐禅らしからぬ慌ただしい雰囲気が堂内に漂っているのが感じられました。私も足を組み坐を整えようとするも、乱れた呼吸が中々静まりません。坐禅堂まで小走りで来たのですから当然です。全身から汗が噴き出し、身体に着物が纏わり付き、更に集中を妨げます。
 するとそのとき、僧堂教育の総責任者で、修行僧の坐禅を監督しておられる後堂というお役目の老師が徐に口を開かれました。「止静が鳴ってからバタバタと入ってきた者がおるようだけど、もっと時間に余裕を持って行動しなさい。『往くことはすべからく緩歩なるべし』とのお示しがある。先に坐っている者の妨げにならぬようゆっくり静かに歩きなさい」と、厳しくも静かな口調で仰いました。ギリギリ間に合ったとはいえ、私にも向けられたような耳の痛いお言葉でした。
 翌日、緩やかに歩く「緩歩」を実践しようと、いつもより早く受付の業務を切り上げ時間に余裕を持って坐禅に向かい、坐禅堂への廊下も、もちろん坐禅堂に入ってからもゆっくりと緩歩して坐に着きました。そして、いつもより時間をかけて身と息を調えていると、いつもと感覚が違うことに気付きました。
 息が上がっていないことで、背筋は無理なくスーッと伸び、それに伴い呼吸もすぐにゆったりとした深い呼吸へと切り替わったのです。いつも余裕なく慌てて坐禅堂に向かっていた私にとって、この日の坐禅はいつになく集中して気持ちよく坐ることができました。
 老師が仰った緩歩を実践してみて気付いたことは、緩歩とは決して周りへの配慮だけではなく、緩歩をする自らの心も調うのだということです。バタバタと慌ただしく歩けば心も乱れ、ゆっくりと静かに歩けば心も落ち着いてくるのです。緩歩は坐禅とそれ以外の時間を繋ぎ、日常を坐禅の心で過ごす大切な教えでした。
 何かと忙しない日常の中で、いつもより少し早く余裕を持って行動し、身も心も緩やかでいられるよう、これからも緩歩の教えを実践していきたいと思いま

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