曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

梅花流詠讃歌のすすめ []

三重 正念寺 住職 宮澤匡俊 老師 


  濁(にご)りなき心(こころ)の水(みず)にすむ月(つき)は
       波(なみ)も砕(くだ)けて光(ひかり)とぞなる 光(ひかり)とぞなる

この曲(きょく)は梅花流(ばいかりゅう)詠(えい)讃歌(さんか)の坐禅(ざぜんの)御詠歌(ごえいか)(浄(じょう)心(しん))です。曲名(きょくめい)「浄(じょう)心(しん)」は、すみきった心(こころ)、きよらかな心(こころ)をさします。それ以外(いがい)何(なに)もない、それっきりのすみきった心(こころ)です。坐禅(ざぜん)のことです。
梅花流(ばいかりゅう)詠(えい)讃歌(さんか)とは曹洞宗(そうとうしゅう)の詠(えい)讃歌(さんか)で、曹洞宗(そうとうしゅう)の宗旨(しゅうし)を信奉(しんぽう)する詠(えい)讃歌(さんか)であります。
曹洞宗(そうとうしゅう)の宗旨(しゅうし)の中心(ちゅうしん)には坐禅(ざぜん)があり、諸々(もろもろ)の教(おし)えを広(ひろ)く正(ただ)しく学(まな)び、行(ぎょう)じていくことにあります。
梅花流(ばいかりゅう)詠(えい)讃歌(さんか)は、梅花(ばいか)符(ふ)に基(もと)づいた曲譜(きょくふ)を唱(とな)え、鈴(れい)と鉦(しょう)を使(つか)って仏(ぶっ)讃歌(さんか)をお唱(とな)えする「仏(ぶつ)行(ぎょう)」です。この行為(こうい)は宗門(しゅうもん)の伝統(でんとう)行持(ぎょうじ)の中(なか)にあっては、かなり画期的(かっきてき)なことですが、仏道(ぶつどう)修行(しゅぎょう)という場合(ばあい)、坐禅(ざぜん)だけを行(おこな)い、他(ほか)は何(なに)もしないということを意味(いみ)するものではなく、合掌(がっしょう)し、礼拝(らいはい)し、詠唱(えいしょう)する梅花流(ばいかりゅう)詠(えい)讃歌(さんか)の一(ひと)つひとつの行為(こうい)そのものが正身(しょうしん)端坐(たんざ)を行(ぎょう)じながら、仏教(ぶっきょう)が求(もと)める最高(さいこう)のさとりを体現(たいげん)していく「行(ぎょう)」であり、詠(えい)讃歌(さんか)をお唱(とな)えしているその時(とき)がそのまま仏教(ぶっきょう)が求(もと)める最高(さいこう)のさとりとしての「仏作仏(ぶっさぶつ)行(ぎょう)」なのです。
只管(ひたすら)に坐(すわ)る静(せい)の坐禅(ざぜん)。合掌(がっしょう)し、礼拝(らいはい)し、詠唱(えいしょう)する動(どう)の坐禅(ざぜん)。同(おな)じ坐禅(ざぜん)なら梅花流(ばいかりゅう)詠(えい)讃歌(さんか)にふれてみるのも良(い)いかもしれませんね。

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