最近テレビで「チコちゃんに叱られる」と言う番組が放映されています。五歳の女の子、チコちゃんの質問に答えられないと「ボーっと生きてんじゃねーよ!」とチコちゃんに叱られます。
仏教では、誰かを「叱る」と言うことは、その人を良い方向に導いていくために忠告をすると言うことです。お釈迦さまの弟子で長老の舎利弗は、叱る時には五つのことを心のうちに持っていなければならないと自らを戒めています。その中の一つは「慈悲の心」です。
今から三〇年余り前に、私はご本山に修行に上りました。最初の頃は、朝のおつとめで居眠りをして叱られ、食事の作法が覚えられなくて叱られ、雑巾のかけ方が悪いと叱られ、本当によく叱られました。坐禅中は、古参和尚が「警策」という棒を持って堂内を回っています。居眠りなどをしていると容赦なく警策で肩を叩かれます。これも無言の叱るということです。
私は、慣れない坐禅に苦しんでいました。修行に上って十日目、足の痛さと腰の痛みに我慢が出来なくなりました。「もう叱られてもいい。警策で叩かれてもいい。「帰れ」と言われたら帰ろう」と思いました。警策を持ってまわって来た古参和尚に「もう我慢が出来ません」と言いました。叱られるかなー、たたかれるかなー、「帰れ」と言われたら帰ろう、と思っていると、耳元で「もう少しだけ頑張れよ」と思いがけないやさしい言葉をかけて下さいました。人間というのは不思議なもので、やさしい言葉をかけて頂いた途端に力が湧いてきて修行を続けることが出来ました。沢山叱られたけれども、その中にあるやさしい心に助けられて、今こうしてここでお話をさせて頂いています。いちにち一日、誰かのやさしい心に支えられて生かされている私です。
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