現代、便利な世の中になり、スーパーやコンビニに行けばほとんどのものが手に入れることができるようになりました。また、季節に限らず、様々なものが手に入れることができ、技術の繁栄とともに季節限定というものが珍しくなくなりつつあります。今でも季節ごとに果物や食べ物などで楽しむことができますが、やはり夏は夏、秋には秋に獲れるものが一番だと感じるものです。
限りがあるものと、いつの時期でも手に入れることができるもの、この違いで人々の心の捉え方が変わります。限りがなければ際限なく使ったりいつでも手に入るからということで有難みが無くなります。
昨今ではエネルギーにも限りがあり、際限なく使うことが問題となってきています。そのエネルギーの中で私たちの生活を支えている電気やガソリンなどのライフラインがあります。生きていくうえでは便利にはなりましたが、多大なエネルギーを使う分大きな代償をえるということ、また、次世代のことを思わないとエネルギーが枯渇してしまい、今ある便利な生活ができなくなり、今の生活を見直さなければならないときがせまってきています。
そこでこのような教えがあります。
杓底の一残水 流れを汲む一千億人
この言葉は、大本山永平寺の入り口の門に書かれている言葉です。その意味は、杓で水をすくい、顔を洗ったり、水を飲んだりして使用しますが、その流れに乗って下流域の人がその水を使うには、一千億人の人がいるということです。
つまり上流でたくさんの水を使うと下流域の大勢の方が水を使えなくなり枯渇してしまういうことです。たとえ少量の水でもいのちの水のように大切に使いなさいという教えです。
この言葉通り永平寺の修行僧は、水を使うとき桶で使用する分だけの水をとり、顔を洗ったり口をゆすいでいます。
このように、一人一人の生活に水や電気など様々なものには限りがあることを知って生活をしていくことで、限りある資源を大切にできることでしょう。
また、私たちのいのちにも限りがあることを知り、一日一日を大切に過ごしていきたいものです。
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