皆様、ふだん御先祖様への供養として、年忌法事をされていると思います。一般的には我々の側から「故人の冥福を祈る」事が目的です。でも我々の側にも「ためになる目的」が、2つあります。ひとつめが、仏さまとなった故人が生前中、何を考え、何を願ったか思い出すこと。ふたつめが、故人と我々の「関係性・つながりに気づき、お世話になった事に対し、労をねぎらい・感謝し、お返しとして「これでよし」と思える日ぐらしができているか、思いをめぐらす事」が目的です。
先日ある檀家宅にて御法事の相談を受けました。70代のお母さんと40代の息子さんを交えて話をしました。息子さんから「和尚さん、おばあさんの23回忌が当たっていますが、そんなに長く法事をしないといけないのですか」とたずねられました。私は一瞬、言葉につまっていると、かたわらのお母さんが「何いってるのよ。病弱だったお前が健やかに育つ様に色々料理を工夫して作ってくれたり、入学入社試験の時には、お百度参りもしていたのをわすれたのかい」と話すと息子さんは、それ以上の否定的な事は話さず、法事をする方向に進みました。
私は「ああそうなんだな」とあらためて気づきました。我々は「自分の力で生きている」と勘違いしながら日々を送っています。法事をする我々の側のためになる目的は、故人とのつながりに気づき、ご恩に対し感謝し、おかえしとして「これでよしと思える日ぐらしができているか」思いをめぐらす。そうする事が、我々の今後の人生の糧になり、故人の願いに報いる「冥福を祈る」事につながるのです。
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