昨年、日本ではラグビーワールドカップが開催されました。日本チームの活躍に熱狂したことは、記憶に新しいことと思います。
このラグビーの用語に「ノーサイド」という言葉があります。これは、どんなに激しく戦った相手でも、試合が終われば、敵と味方という線を無くし、お互いに健闘を称え合うという意味です。素晴らしいスポーツマン精神だと思います。
しかし、私達の日常は、この「ノーサイド」とは、程遠い生き方をしていることがよくあります。
私達は常に、自分と相手という線を引いて生きています。「これは自分の物、これは相手の物。私はあの人より優れている。私はあの人より劣っている。」というように、常に相手と線を引き、区別して生きています。これを仏教では、「分別」といいます。
分別することで、相手に勝ち誇る傲慢な態度を取ったり、時には相手の優れていることに対し妬んだり、恨んだりもします。分別することで争いにも発展していきます。分別という物の見方は、自分勝手な価値観での物の見方です。そのような見方では、相手を真っ直ぐに受け入れることはできません。ましてや、相手に敬意を表し、称えることなどできません。
分別という線を無くした見方で、相手を見て、そして相手を思い、大切にする。そのために私達は、ノーサイドの精神から学ぶことがあるのではないでしょうか。
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