飼い猫が縁側で気持ちよさそうにまどろんでいます。そんな姿を見るとなにも悩みがなさそうで羨ましいと思います。ひょっとしたら彼らにも悩みがあるのかもしれませんが、少なくとも私達の様に昔の出来事やこれからの事を思い悩むことはないでしょう。動物たちには過去も未来もなく、ただ「今」があるだけで、それはまさに「今を生きている」といえます。
この「今」という言葉、例えば「今来たところ」といった場合の「今」は近い過去の事ですし、「今やるから」といった場合の「今」は近い未来の事です。普段何気なく使っている言葉ですが厳密には「今」を指していないことが多いようです。
確かに「今」を考えた時にはもうそれは「今」ではなく「先ほど」になっているのですから、私達が「今この瞬間」というものを感じ取ることは非常に難しいのです。
仏教には「今この瞬間」というものを表す「刹那」という言葉があります。刹那とは一秒の七十五分の一という極めて短い時間を表す単位です。
私達も動物達と同じように「今」を生きようとするなら、それも感じ取ることのできない程に短い「刹那」としての「今」を生きようとするなら、どうしたら良いのでしょうか。
曹洞宗では坐禅をしますが、そこでは只々ひたすらに坐ることに徹します。坐るという行為自体になりきる時、そこには過去も未来もなく、ただその刹那にそこに坐っているという行為があるだけです。
これは坐禅に限ったことではありません。食事でも掃除でもスポーツや読書、日常生活のどんなことでも、ただひたすらにその行為自体になりきって無心で行うとき、過去も未来もなく悩みを感じる隙もない今、今、今の連続を生きていると言えるのではないでしょうか。
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