私の知人に、父親を亡くした26才の青年がいます。長男である彼は葬儀にあたり喪主を務めることになりました。最初は渋々やっているようでしたが、最終的に彼は若いながらもその務めを立派に果たしました。特に彼が通夜の席で多くの会葬者に対して、一人ひとり丁寧に何度も頭を下げている姿は、とても印象的でした。
次の日、葬儀の最後に、彼は喪主の挨拶にてこう述べました。
「この度は父の友人や同僚など、大変多くの方々にご焼香をして頂きました。そのほとんどが、私の知らない方ばかりで、家では無口だった父は、私の知らないところで大変多くの方々にお世話になっていたのだと気づき、驚かされました。父の生涯は充実した幸せなものだったと思います。今改めて頂いた沢山のご縁の一つひとつに深く感謝申し上げます。」
この言葉を聞いて私は思いました。最初は形式的であったかもしれませんが、彼は我を忘れて何十回と頭を下げてお礼を言っているうちに、身をもって多くのご縁の深さと、それを知らずにいた自分の浅はかさを知り、彼の感謝の気持ちは徐々に本物になっていったと思うのです。
曹洞宗の大本山永平寺を開いた道元禅師様は、み仏の教えの真髄は礼拝(らいはい)であると示されました。私たちは自分本位な気持ちで正しい礼拝は出来ません。それは、私心(わたくしごころ)のない純粋な礼拝に、人へのいたわりや感謝の気持ちを忘れない心豊かな生き方が、自然と表れてくるという教えです。
彼は悲しみを抱きながらも、亡き父への尊敬の念と、今を感謝する人としての力強さをしっかりと身に着けて、前向きに生きていくことでしょう。私達も彼を見習って、人へのお礼や挨拶の際には、言葉だけではなく、丁寧に頭を下げたいものです。
| top
| 1
| 2
| 3
| 4
| 5
| 6
| 7
| 8
| 9
| 10
| 11
| 12
| 13
| 14
| 15
| 次のお言葉
| 147
|