先日ある檀信徒の方から、こんなご相談を受けました。
「去年、私の友人が体調を崩し入院しました。しかしコロナウイルスの影響で御見舞いに行くことが叶いませんでした。結局一度も会うことができないまま友人は亡くなってしまいました。お別れを告げることができず本当に悲しく残念でなりません。」
皆さんご存知の通りコロナ感染症は私たちの健康や生活を脅かすばかりではなく私たちにとって大切な人と人との繋がりをも遮断してしまったかの様に思います。
「一微塵に入りて大法輪を転ぜよ」という御教えがございます。これは時間や場所を問うことなく、塵のような小さな場所であっても、お釈迦さまの教えや道理に沿った行いを一生懸命、勤め上げていくことが大切であるという教えです。
コロナ感染症の為、生活環境が一変し自分の望むように過ごすことができず多くの方々が悲しい思いをされています。私自身、思い悩む時、あるお婆さんの姿を思い出します。
今から十年ほど前、東日本大震災の後、被災された東北のとあるお寺を訪れた際の事です。地震によりお寺が深刻な被害を受けたため、仮設の本堂にてそのお婆さんは手を合わせておられました。その姿から察するに地震が来る前もそして震災に見舞われた後も同じ様に何十年間も手を合わせていらっしゃったのでしょう。自分がどこにあろうとも、変わることなく誰かことを思いじっと手を合わせる姿に心打たれました。そして今でもその姿に励まされるような気持ちになるのです。
時間や行ける場所も限られ、例え人に思うように会えなくても、より一層周りへの慈悲の心を廻らしていくことが大切なのです。私たちが今ここでできることを精一杯心を込めて行ってまいりましょう。
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