あの震災からもう13年経つのかと、時がたつのをとても早く感じます。
ご縁を頂き4回訪問した東北の被災地での忘れられない経験を紹介します。
一つ目は、福島市在住50代女性木野さん(仮名)からお聞きしたお話です。
浪江町で一人暮らしの80代の母親花さん(仮名)は、近隣の方との関わりが深く、大変生き生きと田舎で生活されていました。しかし、東日本大震災による東京電力福島第一原発の事故により、花さんは避難を余儀なくされました。福島市内の木野さんの家に一時避難されていましたが、浪江町が帰還困難区域となり、花さんは長男夫婦の暮らす富山県へ行くことになりました。残念なことに、知り合いのいない見知らぬ土地へ移住された花さんはひどく元気をなくされたそうです。
山間地で暮らす私は、一人暮らしで元気なご老人を数多く存じています。頭が下がる暮らしぶりの方もお見えです。「一人暮らし」が「独りぼっち」とは限りません。小さな幸せに活きる秘訣は、人それぞれだと考えさせられる出来事でした。
もう一つは、津波で多くの建物が破壊され、多数の命が奪われた宮城県石巻市に新たに二つの保育園を作られた話しです。曹洞宗洞源院ご住職は「子どもたちの居場所作り無くして、復興はない」という強い信念をお持ちでした。市民から土地の提供を受け、多額の費用を借り入れて保育園開設に踏み切られました。
ご住職の熱意に触発された私たち有志の呼びかけに、地元高山でも応じて下さる学校や企業がありました。高山工業高校建築インテリア科生徒さん製作のすべり台、飛騨木工連5社のご好意で園児用の机と椅子100セットを寄贈することができました。当時中学生だった長男と二人で石巻の保育園を訪問し、ご住職のご苦労をお聞きしました。保育園では現在も資金援助ご協力を呼びかけられています。
関わり続けることでこそ、忘れないでいられると思います。
当山には円空上人作の薬師如来像があります。円空仏を拝観希望の方には、被災地支援金をお願いしています。ぜひ、一度飛騨高山の正宗寺へお参りください。
また、東北へお出かけになることも大きな支援となります。どうぞ足をお運び願います。「細くとも長い支援」を待っておられます。
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