曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

心頭を滅却すれば火も自ずから涼し  []

愛知 龍源院 永富純一 師 

 「心頭を滅却すれば、火も自ずから涼し」
 有名な禅の言葉、禅語です。戦国時代、甲斐の恵林寺の快川国師が、織田信長の焼き討ちにあい、火に包まれながら辞世の句として残して以来、すさまじくも高い坐禅の境涯を表した言葉として受け止められています。無念無想の境地に至れば火さえ涼しく感じられるというのが、一般的な理解のようです。勿論それで構わないのですが、私の理解は少し違います。
 元々この言葉は、唐の詩人杜荀鶴の「夏日悟空上人の院に題す」という七言絶句に由来しています。ちなみに、原文を読み下しにして読んでみます。
 三伏門を閉ざして一衲を披る。兼ねて松竹の房廊に蔭をなす無し。安禅は必ずしも山水を須いず。心中に滅し得て火自ずから涼し。
 夏の暑い盛りに門を閉ざし、家に籠ってお袈裟を着けて坐る。家屋に照らしつける日差しは強く松や竹の影すらもない。しかし、それでも坐禅を修行するために、必ずしも山水のような良好な環境が必要というわけではない。心の中の火を消すことができれば、自ずと清涼となるものだ。大体このような意味になろうかと思います。
 坐禅修行に時と場所を選ぶ必要はありません。というよりも、常に「いま・ここ」が重要なのです。「いま・ここ」にある現実をしっかりと受け止めて坐禅をする。修行をする。暑いときには、暑いままに、寒いときは、寒いままに、今ぎり、ここぎりの坐禅をする。そうすれば、どのようなときも、どんな場所でも、「いま・ここ」が仏の世界・仏国土になります。
 坐禅をしたからと言って、夏の暑さが変わるものではないでしょう。しかし、坐禅をすれば、現実の捉え方、ものの見方が変わります。肌に感じる暑さは、相変わらず暑いままでも、頭の中は、それまでは地獄の劫火に感じられていたものが、仏国土の爽やかな風に変わるかもしれません。
 「心頭を滅却すれば、火も自ずから涼し」という言葉は、そのように受け止めたいと思います。

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