今から20年ほど前、私が修行から帰ってきてまだ間もない頃、お檀家さんの家と間違えて托鉢(たくはつ)にうかがったことがきっかけで、Tさんという方に出会いました。
その時Tさんは、ここは違う家ですよとも何とも言わず、快くお布施して下さり、その後、穏やかな表情で私に聞きました。「ご宗旨は?」「曹洞宗です。」「そうですか。ならば坐禅の教えですね。そちらのお寺では坐禅ができますか?」「はい毎朝しております。」「そうですか。それでは今度おうかがいします。」私は間違えてうかがったことのお詫びと、お布施のお礼を言ってTさんのお宅をあとにしました。
次の日の朝、Tさんは早速坐禅にいらっしゃいました。坐禅の後のお経も一緒に勤められ、「また来ます。」と言って帰って行かれました。次の日も来られました。次の日も、またその次の日も。それ以来Tさんはこれを毎朝の日課とされ、約20年近くにわたり、お寺に通われたのです。
ある日、いつもは何も言わずに帰って行かれるのですが、なぜかその日だけは帰り際に、朝のお経の中にある、「歩みを進むれば近遠(ごんのん)に非ず」という一節を口にされ、しみじみと「この言葉、本当にいいですねー。」と言って帰って行かれました。
「歩みを進むれば近遠に非ず」、この言葉は「道のりの長い短いに関係なく、今この時を大切に過ごしなさい。」という教えです。まさにTさんの生き方そのものを表す言葉でした。
はたから見れば立派なことでも、Tさんにとって、この20年という歳月は単なる数字に過ぎなかったのでしょう。朝起きて顔を洗うのと同じように、自分の心と体に心地よいことを、当然こととして大切にしてきただけなのでしょう。Tさんの決してこれを誇らない淡々としたその姿は、今の私に、日々変わりゆく毎日であっても、当たり前のことを当たり前に行うことの大切さを教えてくれています。
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