修行道場へ行くと、「照顧脚下」、「看脚下」という言葉をよく目にします。
簡単に言えば、自分の履物を揃えなさいという意味になりますが、仏教においては他の意味も含みます。
昨今、世間は経験のないほどの災害に見舞われ、その対応に右往左往しております。近しい人をなくしたり、生活の糧を失った方もいらっしゃいます。この先どうしたらいいかと思い悩んだ時、まずどうしたらよいか。まずは自分の足元をしっかりとよく見つめてみることが肝要です。他人を批判したり、羨むことに躍起になりますが、自分自身のことにはあまり気が付かない人は珍しくありません。何かを変えるために、まず目についてしまうのは、己を取り巻く環境です。明らかでない何かが自分の邪魔をしているせいで、私は成功しない、生活が苦しい、何もできないと思いがちです。本当にそうでしょうか。環境の中にはもちろん悪いものもありますが、良いものもあります。人は単体で生きているということはなく、必ず何かとふれあい、生かされあっているのです。生きるということは、命と命のふれあい、出会いによって、生かされている自分に気づくことです。
自分とは、己とは何か。今ここにいる私とは何か。本当の自己に目覚めることが一番大切なことです。人には皆仏性が宿っています。怒っているときにも、悲しんでいるときにも、人の心の奥底には明るく、尊い仏様の心があるのです。心の中に仏様と変わらぬものが宿っているということを信じることで、周りに左右されない、大きな心持を得ることができるでしょう。
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