曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

徳をつむということ []

静岡 耕春院 渡辺雄介 師 

昔から「徳をつむ」だったり「徳が高い」という言葉が使われたりします。言葉で聞くことはあっても見えたり触れたり出来ないので少し抽象的ですよね。仏教で徳という言葉は仏様の恵みで巡り巡って自分に返ってくる善い行いのことを言います。最近では悪い意味にとらわれがちですが「因果応報」や「自業自得」とも近い言葉であります。
 例えば人に何かをしてもらった時に何かを返したいと思ったり、心から感謝することがあると思います。その時に相手がしてくれた善行やその善行に対して自分が感じた感謝の気持ちが徳であるのだと思います。
ですが人に何かをしてもらった時にそのことに対して相手から見返りを要求されたらどうでしょう?言葉では感謝できても心から感謝することができなかったり、場合によっては感謝とは逆に余計なことをされたと感じることもあります。せっかく人に対していいことをしたのに難しいですよね。かくいう私もそういう時に感謝やお返しを期待してしまうことが多くあります。自分が見返りを要求されたらやっぱり嫌な気持ちになったりしますよね。相手も同じで嫌な気持ちになります。自分が嫌なことを相手にしてしまうと簡単に徳が無くなってしまうのです。では相手に対していいことばかりすれば良いのか?それだと相手が自分に依存してしまったり、要求がどんどん大きくなってしまうだけになるかもしれません。そうではなく相手を思いやり、感謝の心を忘れないことが大切なのです。
徳があるからといって必ず幸福がくるとは限りません。自分に徳があると思ったからといって何でも許される訳でもありません。見えるものではないので多いか少ないかもわかりません。しかし目に見えないものだからこそ大切で徳をつむ第一歩なのかもしれません。

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