今年(令和6年)は、大本山總持寺の御開山瑩山紹瑾禅師の七百回忌に正当し、盛大な法要が営まれました。その瑩山禅師が著された『しんじんめいねんてい信心銘拈提』という書物のなかに、「寒き時は火に向かひ、熱きところ処ではせん扇を打つ」という言葉があります。
寒い時には火に向かって暖をとり、暑い所では扇をあお煽いで涼む―何の変哲も無い、当たり前の言葉ではありますが、私達は常日頃、これを素直に実践できていますでしょうか。
「残暑お見舞い申し上げます」という御挨拶。今年(令和6年)ほど、この言葉に実感を込めた年は、かつて無かったのではないでしょうか。しかしながら、「暑い」と気候に文句を付けても始まりません。「寒い」時もまた然り。冬になれば暖をとり、夏には涼む様に、その時に適った行動を、「寒い」「暑い」といった感情にとら囚われることなく、ただ只行うことである―前述のお言葉を意訳すれば、およそこの様にいえるかと思います。
中国・唐の時代、漢詩人として有名な白楽天が、或る僧侶の許を訪ねたときのこと。「仏法のあらましとは如何なるものか」と問うたところ、その僧侶は「諸々の悪をなさず、諸々の善を行うこと」と答えました。「そんなことなら、三歳のわらべ童でも知っている」と白楽天が反論すると、「それは八十歳のおきな翁でさえ行い難い」と言い返されたため、白楽天はお辞儀をして去ったとのことです。道元禅師の『正法眼蔵』にも引用されている逸話であります。
「寒き時は火に向かひ、熱きところ処ではせん扇を打つ」。まさしくわらべ童でも理解できるが、人生経験豊かなおきな翁でさえ、実はその実践が容易でない瑩山禅師のこの御教えを、七百回大遠忌に際し、改めてけん拳けん々ふく服よう膺(心に刻んで常に忘れないように)したいものです。
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