トリカブトは非常に毒性の高い植物ということで知られていますが、その根っこの一部である附子と呼ばれる部分は、薬として使用されています。もちろん毒性を弱めるための加工が必要ではありますが、毒も弱めれば薬になるようです。そうなると、トリカブトとは一体、毒なのか薬なのか、どちらなのでしょう。
もう1つ考えてみたいと思います。たとえば車ですが、車は大変に便利なものです。私が暮らしている田舎のあたりでは、車がなければ日々の買い物にも行けないので車は必需品となっています。つまり私にとって車とは、楽に早く移動するための便利な機械という位置づけです。しかし一方で、昨年に交通事故で亡くなった方は2,678名おり、1日に7名ほどの方が亡くなるという犠牲が毎日続いてもいます。そうなると、車は一体、人々の生活にとって良いものなのか、悪い者なのか、どちらなのでしょう。
仏教ではこう考えます。トリカブトにも車にも、本来的に良い悪いなどというものは具わっておらず、それらとどう関わるかによって、それらの意味が生じてくるのだと。これはなにもトリカブトや車に限ったことではなく、あらゆるものはそれ自体では意味を持っておらず、何かと関わることで意味が生じる、ということでもあります。
私たち人間は、自分の価値観で物事を見ますので、自分にとって良いか悪いかが価値判断の根本にあります。物事は常に多面的ですが、人間の見方は往々にして一面的であるので、物事のどこか一面を切りとって、それがすべてであるかのように錯覚をしてしまいがちです。車は良いのもだと考える人がいれば、車は悪いものだと考える人もいるわけですが、車自体には良いも悪いもなく、車とどう関わるかによって自分にとっての車の意味が生じるのです。そのようにして世の中を見渡してみれば、あらゆるものが毒にも薬にもなることに気づくでしょう。何者でもないものを毒か薬かと断定するのではなく、何者でもないからこそ毒にも薬にもなるのだということを、忘れないでおきましょう。
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