もうすぐ8月、私はよくお檀家さんに8月のことを「お盆月」と呼んでお話ししています
皆さんにとっては、お盆というと13日の迎え火から15日もしくは16日に行う送り火までの期間を指すと思います
私がいるお寺は1日の盂蘭盆会に始まり、24日の地蔵盆まで様々なお盆に因んだ行事が行われています
ただ、私が住むところは、昭和後半から都市開発により急速にまち化がすすみ、現在は田舎の面とまちの面の両方が混在している地域となっています
そんな事もあってか、毎年初めてお盆の風習を勤められるお家や今までも勤めてきたけれど世代が代って自分が中心となって勤めるのは初めてというお家がいらっしゃいますので、その都度、お寺のやり方や地域の風習をお伝えしますが、
「そのまま行うとなると目が回りそうです」というお言葉をよく戴きます
そんな時は、「こだわらず自分たちが続けていける形を見つけてお迎えしてあげてください」とお話ししています
「ただね…」私は続けます
「少しでいいから自分たちのご先祖の分の他にもお供えを用意してあげてください」と一言必ず付け加えます
どうしてか尋ねられると私は
「お盆は亡き人がみんな帰ってくるというけれど、みんながみんな帰る家があるわけじゃないもんね」とお答えしてます
以前「帰る場所があるから人は旅に出れる」と話してくれた方がいました。
姿は見えなくてもそこにいるという生者の安心、そして亡くなっても必ずみんなのところに戻ってこれるという死者の安心
死を今以上に恐れていた時代、また戻ってこれるという安心を以って最後を迎えることが出来る
死という大きな旅に出る人にとってお盆はどのお家でも私を迎えてくれる、帰る場所がある
私はこのお盆という風習を素敵だと思っています
わたしもあなたもいつか逝く
今年のお盆、どんな場所にいてもどんな形であっても先祖をそして名前も知らぬ亡き人をお迎えしてあげませんか
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