私が当山の五十四代目住職として晋山して十六年。その歳月の中で、先人たちが命をかけて守ってきた法灯を、私はただ受け継がせていただきました。幼いころ、五十二代・定行和尚からいただいた坐禅と朝課の厳しくも温かな教え。戦後の混乱のなか托鉢と寄進で本堂を再建し、焼失前の四天王寺の写真を静かに眺めておられたあのお姿。先代昌行老師が境内と墓地を守り抜き、昼も夜も奔走された背中。──そのすべてが、私の胸に今も生きています。
住職になってから考えてきた「自分は、この寺に何を残せるのか。」ずっと胸の奥に沈んでいた問いが、ある日そっと形をとりました。焼失した仏像のうち、せめてひとつだけでも復元したい。その小さな祈りが、思いもよらぬご縁を次々と連れてきました。
京都の冨田仏師。雪の木曽で出会った、雷に打たれ天に選ばれた檜。「この木の中に観音様が眠っています。」そう言われた瞬間、木の奥から確かに鼓動を感じました。
さらに、先代との交流があった鍛金作家・何惠娜さんとの出会い。仏師の手と芸術家の感性──木と金属、陰と陽が響き合い、令和の観音様の姿が少しずつ現れはじめました。
コロナ禍では、郵送御朱印と写経を通じて全国から十万を超える祈りが届きました。添えられた願意には「家族が健康でありますように」「世界の平和を祈ります」その一枚一枚を私は胸に抱き、すべて観音様の胎内に納めました。いま、その祈りは檜の中で静かに脈を打っています。
最近気づけば、こう思うようになりました。「働いているのは私ではない。観音様が導いてくださっているのだ。」と困ったときに支えてくれる人と出会い、迷ったときに正してくれる賢者と出会う。そのすべてが観音様のご慈悲だとしか思えません。
終戦八十年の今年、焼失した観音様が再びこの地に戻られる。これは奇跡ではなく──無数の祈りが時を越えて実った、平和への願いそのものです。
令和八年二月二十二日、青山俊董老師をお迎えし開眼法要を厳修いたします。観音様の瞳の奥には、歴代の住職も、檀信徒も、この地で眠るすべての魂も映っていることでしょう。私はただ、心から手を合わせます。先人の恩に、支えてくださった方々の想いに、そして観音様のご慈悲に。
その日、皆様と共に観音様の御前に立てることを願っています。
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