「人生の意味について」考える時、私は、オーストリア出身の精神科医、ヴィクトール・エミール・フランクルの言葉が頭をよぎります。
フランクルは、幼少の頃から自分の存在する意味に思い悩み、10代の頃にはジークムント・フロイトと文通し、大学に入学してからもアドラーに師事しながら、独自の心理分析を築きあげ、32歳の時には精神科の診療所を開業しました。
しかしその数ヶ月後、ナチス・ドイツによるオーストリア侵攻をきっかけに、フランクルの人生が一変します。
フランクルは36歳に結婚したものの、その翌年、テレージエンシュタット強制収容所に連行され、その後、悪名高きアウシュヴィッツ収容所やその他の収容所生活を、約3年送ることになります。奇跡的に、フランクル自身は生き延びたものの、一人の妹を除き、愛する妻や、両親、兄を強制収容所にて失ってしまいました。91万人ものユダヤ人がガス室送りになり、それを免れてもなお多くの収容者は過労死や餓死、自殺に追い込まれました。
フランクル自身も常に生きるか死ぬかの状況でありましたが、精神科医としての役割を見失うことなく、仲間の相談に乗り、親身になって語り合いました。
フランクルの言葉です。「人生の生きる意味をこちらから問うのではなく、向こうから与えられる困難や苦難に絶望せず、自らを待っていてくれる人や自らが成し遂げるべきことに思いをいたすことで、あなたの人生が意味を持つ」と。そのように仲間に語りかけました。
翻って、仏教を開いたお釈迦様も自らの生きる苦しみを乗り越えるために出家し、瞑想を経て悟りに至りました。お釈迦様の悟りはそこで完結せず、バラモン教の神様、ブラフマンがお釈迦様の前に現れ、ぜひその教えを世間の人々にも伝えてほしいと請われます。お釈迦様は自身の教えを他人が理解することは困難なため、そのお願いをはじめは断りましたが、救いを求める人がいるならと思い直し、自らの教えを集まった弟子に説き始めます。
いかなる困難や苦難に直面しても、その状況から逃げ出さず、悩み悩み続け、あなたの人生を待っていてくれているものや、ひとのために、自らがやらなければならないことをやり続け、やり抜くこと。
私はこのように「悩むことの意味」をフランクル医師とお釈迦様から教えていただきました。
| top
| 1
| 2
| 3
| 4
| 5
| 6
| 7
| 8
| 9
| 10
| 11
| 12
| 13
| 14
| 15
| 次のお言葉
|