曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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道元禅師
道元さまのお言葉

正法眼蔵諸悪莫作の巻より

 

「古佛云、諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸佛法。
これ七佛祖宗の通戒として、前佛より後佛に正伝す、後佛は前佛に相嗣せり。ただ七佛のみにあらず、是諸佛教なり。この道理を工夫参究すべし。いはゆる七佛の法道、かならず七佛の法道のごとし。相伝相嗣、なほ箇裏の通消息なり。すでに是諸佛教なり、百千万佛の教行証なり。・・この無上菩提を或従知識してきき、或従経巻してきく。はじめは諸悪莫作ときこゆるなり。・これ佛正法なり」

 この巻は奥書に延応庚子月夕とありますが、この月夕とは旧暦八月十五日の夜のことであります。つまり中秋の名月の夜にこの巻は興聖宝林寺において衆に説かれたのであります。道元さまはこの日衆に佛教とはなにかという根本問題を説かれたのであります。
 この巻は三章に分かれ、その第一章の冒頭に七佛通戒偈を引用され佛教の何たるかを定義的に説かれました。この七佛に関する経典は七佛経、阿含経、薬王経などがあります。七佛とはお釈迦さまを含めそれ以前の六人の佛さまであります。その六人は実在の佛さまではありませんが、お釈迦さまの教行は永遠の過去より何ら誤謬のない、普遍の真理であるということを、お釈迦様を含めて七佛とした、信念、信仰より生じた観念上の六佛であり、それは釈尊滅後に唱えられた佛さまであります。そしてここに道元さまが佛教精神の根本をこの四句偈を引かれたのは法孫たるものが嫡々相承し、行持すべき規範こそ要約すれば、この七佛通戒偈・四句偈であります。ここにこの引用の一節の現代訳をさせていただきます。「お釈迦さまが説かれました。(もろもろの悪を為すことなく、もろもろの善を奉行して、みずからその意を浄む、これがもろもろの佛の教えである。)これは過去七佛佛祖に通ずる教えであり、佛祖から佛祖へと嫡々相承して正伝して今日に至った教戒である。それは七佛に限った教えではなく、是が即ち諸佛の教えである。この教えの何たるかをよくよく参究すべきである。いうところの七佛の教えは、七佛の行持でもある。それは相伝相嗣、師資相承し変わることなく伝えられたものである。もろもろの佛、百千万の佛の教であり、行であり、証である。・・この教えを或いは知識、すぐれた祖師に付き従って聞き、或いはその教えを説かれた経巻を読むことによって知る。そのときはじめはもろもろの悪を為すことなかれと聞こえる。・・これは正しい佛の教えである。」
 佛教に限らず宗教の本源をなすものは自己を問い直すことにある。それなくして宗教とは何ぞやと問うのは、単なる観念論に過ぎなくなるのである。そして宗教は道徳律とは異なり、信仰というものを根底にしたそれぞれの戒律なるものが存する。ただ佛教におけるそれは本義において、きわめて理にかなったノーマルなものであって、そのもとをなすのがこの七佛通戒偈とか四句偈であり、略戒ともいうものであります。修証義第三章にある三聚浄戒は無着菩薩が弥勒菩薩より聴き著したとされ、七佛通戒偈の精神を原典とするのではないと思われますが、その内容は例えば通戒偈の諸悪莫作が三聚浄戒の摂律儀戒の精神に、衆善奉行は摂善法戒の精神に符合することは否めないし、自己の行持への誓いでもあります。佛教の戒の根本が七佛通戒偈にあるとするならば当然のことであります。
 悟りとは無上正当菩提であり、是を法として信じ行持して、これを身証することこそ教行証であります。それは仏祖方が連綿として受け継いだ常住不滅の真理であります。

(合掌)

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