曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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道元禅師
道元さまのお言葉

永平清規 赴粥飯法より

 

 「法はこれ食、食はこれ法なり。是の法は前仏、後仏の受用するところなり。此の食は、法喜・禅悦の充足するところなり」・・原漢文
 ここに引用致しました一節は道元さまが永平寺におきまして修行僧達に説かれた「赴粥飯法」という教えの冒頭の一節であります。赴粥飯法とは修行僧達が毎日の食事をする時、どの様な心構えでするべきかということを説かれたものであります。粥とは朝修行僧が食べる「かゆ」であります。現在でも永平寺や総持寺などの僧院におきましては、朝は「おかゆ」に梅干、胡麻塩という献立がきまりであります。これは道元さまの頃と変わりがありません。また、箸の上げ下げなど食事の作法も全く変わりがありません。つまり道元さまが七百余年前にお説きになったこの「赴粥飯法」に従って行われているのであります。道元さまはこの作法と同時に食事への心をも説いておられるのであり、この一節はその根底を為す教えであります。この節の意味は「法は食であり、食は法である。この食と一体であるところの法は悟りを得られた仏さまやお祖師さま方が自由に身につけ用いられたものであります。それでこの法と一体であるところの食こそは、仏の教えを聞く喜びや坐禅をする悦びを十分に備えたものであります。
 道元さまは安貞元年(一二二七)南宋天童寺如浄禅師より正しい教えを受け継ぎ帰国され、宇治の興聖寺にて十年余り法を説かれ、寛元元年(一二四三)豪族波多野氏の招きにより越前に移られ永平寺においてこの赴粥飯法を修行僧達に説かれたのであります。修行僧に日常の禅堂における行動のきまりを説いた「永平清規」六巻の中の一巻がこの赴粥飯法であります。道元さまは中国における老典座和尚との出合により、食事というものへの考え方が間違っていたことに気付かれ、食事というものの重要性をここに説かれたのであります。食事をつくる側の心構えにつきましては典座教訓によって説かれましたが、ここでは食事をいただく側の心構えについて懇切に説かれたのであります。その内容は紹介する時間がありませんが、実に懇切丁寧にそのきまりを説いておられます。立居振舞いのことを僧堂では「進退」といいますが「あらゆる進退を清規の中できめられ、説かれているのであります。それは現在でも僧堂などで時に目にふれることがあると思いますが、一つ一つの進退に無駄がなく、実に合理的に出来ています。しかもこの進退にはそれへの心が秘められているのであります。食事のあり方は仏の教えとして人間存在の本質的あり方を示しているのであります。道元さまはこのことを、悟りを体現された仏々祖々が伝え来たったことであると言われました。それは単に生理現象としての食事の意味から食事の本当の姿・性質・形・能力・働き・原因・助縁が備わるということであります。こうしたことから、法は食であり、食は法であるといわれるのであります。法とは真理であり悟りであります。
 食欲、性欲、睡眠欲は生き物の本能的な欲望であり、生きていることの証でもあります。しかし、現代はこの欲望をもてあそんでいる人々が増えているのではないでしょうか。特に食事についてはこの傾向が顕著で、マスコミもこの風潮に拍車をかけているような気がしてなりません。グルメ番組などその例であります。確かにお金を払えばなんでも手にはいる結構な世の中ではあります。一方この食事が原因の病気も増加いたしました。  「日常茶飯事」という言葉があります。これは毎日なんとなく繰り返されるありふれた事という程の意味であります。たしかに食事は普通ではごくありふれた日常のことであります。そして先に申しましたように、今私たち日本では日常の食事にそれほど心配することもありません。そして「飽食」の時代ということで、贅沢三昧が許される、ある意味では大変結構な時代であります。しかし、このことから食べ物に対する感謝の心を忘れ、粗末に扱うようになりました。ローマ帝国が滅びた原因の一つにこの「飽食」「贅沢」があげられるといわれます。
 「食は仏法であり、仏法は食である」

(合掌)

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